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新聞・雑誌等での亀井静香の発言

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2002.3.10◎中央公論 4月号
特集:
支持率急落 小泉政権、正面突破か妥協か
亡国の改革は許さない 正論はわれらにある


俺の言うとおりにやればいいんだ

この異常事態は「痛み」の範疇をとっくに超えている。国民もあわやのところで後ろを振り向き始めている。 潮目が変わり始めたのだ


実際は「改悪」だ

亀井 いま起きている危機は、ひとことで言うと「人災」である。怪しい笛吹童子の笛の音につられて、ネズミの大群がまさに海に飛び込もうとしている。「構造改革」という名称こそ掲げているが、実質は「改悪」に近い。下手をすると国を滅ぼしかねない危険な流れが進んでいる。これを、国民の反発が恐ろしいからと、拱手傍観するならば、それはもはや政治家とは言えないだろう。
 小泉政権が発足して10ヵ月がたった。経済は釣瓶落としの様相を見せている。ところが、ことここに至っても、小泉総理は「早急に結果を求めすぎるな」とか「本格的な改革はこれからだ」と釈明している。しかし、もう10ヵ月が過ぎたのだ。いまある現実が改革の「結果」だと判断せざるを得ないのではないか。もはや結果は出ている。私は、「構造改革」の先に日本の未来はないと思う。
 率直に言うが、問題は国民にもある。小泉総理のある種のかっこよさ、改革という言葉の響きにつられて、中身をよく吟味しないまま大きな支持を与えてしまった。その支持のもとで、小泉総理は、「2、3年はマイナス成長でいきますよ」「失業も出ますよ、『痛み』を分かち合ってください」と忠実に公約を実行している。いま現出している 「成果」は改革の結果なのである。
 あえて苦言を呈するが、国民の覚悟のなさというか、いまさら総理を支持しないなんて言えない立場にあるはずなのだ。ところが、支持率は予想を超えて急落した。外務省をめぐる問題もあるが、やはり支持のかなりの部分がバブルであったと思わざるを得ない。


弱肉強食は日本になじまない

亀井 御存知のように、私は「抵抗勢力」というレッテルを貼られている。常々、私は日本を不景気にする政策に対しては、橋本内閣であれ、小泉内閣であれ、堂々と抵抗してきた。その意味では筋金入りの抵抗勢力だろう。ところがいま進められている「構造改革」には、不景気にとどまらない、重大な問題、危険が潜んでいる。そのひとつが、アメリカ型グローバリゼーションへの転換(屈服)である。
 金融を例に取ろう。現在強力に推し進められているのは、ひとことで言えば強い金融機関だけ残せという政策である。「金融自由化」を要求する米国の圧力によるものであることは、言うまでもない。海外からも資金調達を行うような大手都市銀行と、信金・信組に同じ金融検査マニュアルの網をかける。その結果、大手並みの基準を満たせない何十もの地方金融機関がここ数年で破綻させられた。
 金融機関の破綻は、それだけでは終わらない。地方金融機関は、それこそ100年前からその地域の中小・零細企業や商店などと、毛細血管のように絡み合ってきた。血液の供給を絶たれた顧客はとたんに経営危機に直面することになる。
 このように、小泉改革は、「弱いところが淘汰されて、強い企業が生き残れば日本経済は再生する」という“仮説”のもとに進められている。しかしその改革の実態たるや、中小企業、零細企業を根絶やしにし、森全体を消滅させる“枯れ葉作戦”にほかならない。
 株主第1主義の米国企業では、従業員や下請け、取引先はもとより経営者さえ、利益を稼ぎ出すための「道具」である。業績が悪ければ、早々に放り出されてしまう。それが米国流のダイナミズムである。
 しかし、日本は違う。たとえば新日鉄のような国を代表する企業でも、数多くの下請け、孫請けの協力の上に成り立っている。利益が出れば、まず従業員、下請けへと配分する。そういう風土を大事にすることが企業活動の健全性とかエネルギーとか持続性を育んできたのだ。機械的に米国スタンダードを当てはめ、経済の基盤を支えている中小企業を殺すような“枯れ葉作戦”を強行したら、どうなるか。私は、結局大企業も栄養不足に陥り、やせ衰えていくだろうと思う。
 ついでながら、「グローバリズム」に踊らされる日本の経営者にも苦言を呈したい。大企業でいま本当の経営者と呼べるのは、東レの前田勝之助会長ぐらいであろう。彼は「縁があって当社に入った人、あるいは当社と仕事をしてくれている会社、これを不幸せにして東レが儲けたって仕方がない」と口癖のように言う。これが日本的経営の神髄であろう。十数年前まで、日本企業は不況で余剰人員が出ると必死で新しいビジネスを探したものだ。
 昨今、日産のカルロス・ゴーン氏がもてはやされているが、彼がやったのは従業員を切って人件費を削り、下請けに部品を値下げさせて製造コストを浮かすことである。確かに、会社の儲けは回復したであろう。だが、それで肝心の日産の車は売れているのか。現実は残念ながらノンだ。こんなやり方を崇め奉っていながら、国の財政政策にイチャモンをつけるのも、どうかと思う。


過ちを改むるに憚るな

亀井 「構造改革」路線の誤りは、もはや明白である。失業率が5パーセントを突破し、自殺者が年間3万2000人に達するという異常事態は、「痛み」の範疇をとっくに超えている。さすがに、国民もこれは大変だと気づき始めた。海の際まで引きずられて行ったが、あわやのところで後ろを振り向き始めている。潮目が変わり始めたのだ。
 私は直接、あるいは電話で総理に政策転換の必要を何度も迫ったが、聞き入れられなかった。とにかく私が決めた経済政策を速やかに実行してもらいたい。
 いまからでも決して遅くはない。小泉総理は政策転換に踏み切るべきだ。まずは、思い切った財政出動に打って出ることである。官主導でグライダーを引っ張り上げるのだ。たとえば、昨年度からスタートした都市・地方再生プロジェクト。東京・大阪で1000ヵ所を超えると言われる「開かずの踏切」を解消したり、地方の下水道を整備したりというのは、決して“無駄な公共事業”ではあるまい。こうしたビッグプロジェクトに資金を投入しつつ、自力反転の風に乗ったら切り離して民間に任せればよい。
 先ほどまでの話と矛盾するようだが、抜本的な景気対策の引き金になるのであれば、この際、外圧もウェルカムである。小泉構造改革により値下がりしたニッポンを買い漁ったのは、米国のハゲタカファンドだ。ところが、デフレが長引いては、さしものハゲタカ集団も辛くなってきた。格安で仕入れた不良債権が、まだまだ下がるのだから。御都合主義の米国のことである、遠からず日本に景気浮上の強力な圧力をかけてくるはずである。ハゲタカに儲けさせるのはシャクだが、日本が焼け野原になるよりはましである。
 ただ問題は、橋本龍太郎元総理のように、小泉総理にコペルニクス的な政策転換をする勇気があるかどうか。具体的に言えば、「国債発行30兆円」の公約を反古にできるか否かだ。財源は、国債をおいてほかにはない。事態を動かすためには、国民世論がどの時点で「理性」を取り戻すのかも、鍵を握っている。
 見事な口上でサーカス小屋を満杯にしたはいいが、珍獣のプロレスごっこも一段落。今後、場を持たせるために自ら綱渡りを演じるか、無芸であることを観客に詫び、綱を降りるのか。降りるにしても、芸がいるのだ。どちらにしても、ハードルを上げすぎたことは否めない。

※無断転載を禁ず


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