プロフィール

亀井静香(かめいしずか)

プロフィール

衆議院議員

(広島6区:三次市、庄原市、世羅郡、神石郡、尾道市、三原市、府中市)
合気道6段。
趣味:ゴルフ、油絵(平成13年春、初の個展を開催)
座右の銘:至誠一貫
現職

事務所一覧

国会事務所

〒100-8981 東京都千代田区永田町2-2-1
衆議院第一議員会館1022号室
Tel.03-3508-7145

庄原事務所

〒727-0011 広島県庄原市東本町2-25-11
Tel.0824-72-4722・4052

府中事務所

〒726-0012 広島県府中市中須町1227−1
Tel.0847-45-9111

三次事務所

〒728-0012 広島県三次市十日市中2-13-13
Tel.0824-63-0736

尾道事務所

〒722-0014 広島県尾道市新浜1-9-22
第一堀田ビル1階 Tel.0848-22-2211

三原事務所

〒723-0014 広島県三原市港町1-8-33
Tel.0848-67-7000


主な経歴及び足跡

 経歴・足跡社会時事
1936年
(昭和11年)
1936年 広島県庄原市川北町に、姉二人兄一人の末っ子として生まれる。 修道中学を経て同高校2年の時、定期を買うための通学証明書発行の有料化に反発。学校側に抗議するためビラ配りをして放校処分。修道高校中退後、上京、都立大泉高校校長先生の特別の温情を以て編入、無事卒業 。 2・26事件
1939年(昭和14年) 第2次世界大戦
1941年(昭和16年) 太平洋戦争
1945年(昭和20年) 終戦
1956年
(昭和31年)
東京大学経済学部入学。
駒場寮に入り奨学金と家庭教師、キャバレーのボーイ、東洋現像所での夜勤等のアルバイトで自活の為の生活費を稼ぐ。又合気道に目覚め、それまでどちらかというと左がかった私の人生に多くの影響を与えて下さった方々と出会う。また、この頃自らを捨てて苦しむ民衆の救済に身を挺した大塩平八郎や西郷南州を読み傾倒する。
日ソ国交回復
太陽の季節
1960年
(昭和35年)
東京大学経済学部卒業後別府化学工業(現住友精化)にてサラリーマン生活。
此の年の60年安保闘争でデモ隊に対して警察のふがいなさに腹を立て、「俺が警察を強くしてやる」と一念発起。警察に入ることを決意する。
辞職して猛勉強を始めた頃、東大病院で癌の宣告を受けたが、後に誤診と分かった。
安保条約反対闘争
浅沼社会党委員長刺殺
1962年
(昭和37年)
警察庁に入庁、鳥取県警察本部警務部長、埼玉県警察本部捜査二課長等を歴任。 北陸トンネル開通
1963年(昭和38年) ケネディ暗殺
1964年(昭和39年) 東京オリンピック
1968年(昭和43年) 三億円事件
1969年(昭和44年) 安田講堂攻防戦
1970年(昭和45年) 大阪万博
1971年
(昭和46年)
警察庁警備局の極左事件に関する初代統括責任者となり、成田空港事件、連合赤軍あさま山荘事件、日本赤軍テルアビブ空港事件等を陣頭指揮。 ドル・ショック
1972年(昭和47年) 浅間山荘事件・札幌五輪・沖縄本土復帰
1975年(昭和50年) 第1回サミット
1976年(昭和51年) ロッキード事件
1977年
(昭和52年)
警察庁警備局理事官、長官官房調査官を経て退官。
350万円の退職金を元手に衆議院議員選挙に打って出ることを決意。ポスターを自分で張って回る。
日航機ハイジャック事件
1978年(昭和53年) 日中平和友好条約調印・大平正芳内閣発足
1979年
(昭和54年)
初当選 衆議院議員選挙初出馬、「泡沫候補」と言われたのにも拘わらず、多くの善意の方々に支えられ初当選。  
1980年
(昭和55年)
衆議院議員選挙に連続当選(二期目)。 新宿バス放火事件
鈴木善幸内閣発足
1982年(昭和57年) 日航機羽田沖墜落・ホテル・ニュージャパン火災・中曽根康弘内閣発足
1983年
(昭和58年)
衆議院議員選挙に連続当選(三期目)。 大韓航空機墜落
三宅島大噴火
1985年
(昭和60年)
運輸政務次官。 日航ジャンボ機墜落
1986年
(昭和61年)
衆議院議員選挙に連続当選(四期目)。国家基本問題同志会結成(座長)。 チェルノブイリ原発事故
1987年(昭和62年) 竹下登内閣発足
1988年
(昭和63年)
自由民主党交通部会長。 リクルート疑惑
1989年
(平成元年)
自由革新連盟結成(4月)。
同年6月の総裁選で派閥力学による総裁選び、人事を排除しようと派閥執行部の決定した総裁候補者と違う候補者を担ぎ、派閥を除名処分される。
昭和天皇崩御
ベルリンの壁崩壊
天安門事件
宇野宗佑内閣発足
海部俊樹内閣発足
1990年
(平成2年)
衆議院議員選挙に連続当選(五期目)。農林水産委員長。 バブル崩壊
1991年
(平成3年)
自由民主党商工部会長。 雲仙・普賢岳で火砕流
湾岸戦争
宮澤喜一内閣発足
1992年
(平成4年)
自由民主党政務調査会長代理。 佐川献金疑惑
1993年
(平成5年)
衆議院議員選挙に連続当選(六期目)。自由民主党全国組織委員長。
同年8月自民党政権崩壊、非自民8党派による細川連立内閣発足。
細川護煕内閣発足
皇太子御成婚
1994年
(平成6年)
6月に細川政権の倒閣と、自民党、社会党、さきがけ3党による村山連立内閣樹立へ奔走。運輸大臣就任(村山内閣)。 松本サリン事件
羽田孜内閣発足
村山富市内閣発足
1995年
(平成7年)
自由民主党組織広報本部長。 阪神・淡路大震災
地下鉄サリン事件
1996年
(平成8年)
自由民主党広島県支部連合会長。衆議院議員選挙に連続当選(七期目)。建設大臣就任(橋本内閣)。 豊浜トンネル岩盤崩落事故
橋本龍太郎内閣発足
1997年(平成9年) ペルー日本大使公邸人質事件・鹿児島県出水市針原川土石流災害・香港返還
1998年
(平成10年)
7月旧三塚派を同士21名と共に飛び出し、中山太郎先生を議長に超派閥の政策勉強会「日本再生会議」を発足。日本再生会議代表幹事・現職。 長野オリンピック
サッカーW杯日本初出場
小渕恵三内閣発足
1999年
(平成11年)
3月旧中曽根派と共に政策集団「志帥会」を結成。志帥会会長代行。自由民主党政務調査会長就任(小渕内閣)。 東海村で臨界事故
2000年
(平成12年)
八期目自由民主党政務調査会長再任(森内閣)。衆議院議員選挙に連続当選(八期目)。 南北朝鮮首脳会談
雪印乳業食中毒事件
森喜朗内閣発足
2001年
(平成13年)
死刑廃止を推進する議員連盟」会長就任・現職。 小泉純一郎内閣発足
米同時多発テロ
2002年(平成14年) 日韓共催サッカーW杯開催・日朝が平壌宣言に署名・拉致被害者5人が日本に帰国
2003年
(平成15年)
10月志帥会会長就任。
衆議院選挙に連続当選(九期目)。
イラク戦争
2005年
(平成17年)
自民党離党、綿貫民輔先生を代表に「国民新党」結党。国民新党代表代行
衆議院選挙連続当選(十期目)
郵政民営化総選挙
耐震偽装問題
2006年(平成18年) フセイン元大統領死刑執行・安倍晋三内閣発足
2007年(平成19年) 中越地震による原発被害・参院選で自民大敗・福田康夫内閣発足
2009年
(平成21年)
衆議院選挙連続当選(十一期目)
国民新党代表・現職
国務大臣金融・郵政改革担当に就任
 
2010年
(平成22年)
6月11日金融・郵政改革担当大臣辞任 
2012年
(平成24年)
4月9日消費税増税法案に反対するために、成立に協力する国民新党を離党 
2012年
(平成24年)
11月日本未来の党に入党 
2012年
(平成24年)
12月 みどりの風入党
衆議院選挙連続当選(十二期目)
 
2014年
(平成26年)
6月 みどりの風解散  

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