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亀井静香についての記事

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2003.7.22◎毎日新聞
気になる人々 首相に挑む亀井静香氏
「弱者の視点」で雪辱目指す


 自民党総裁選レースの構図はまだ定まらないが、少なくとも小泉純一郎首相の無投票再選はない。亀井静香前政調会長が「小泉再選は絶対に阻止する。対立候補が誰も出ないなら私が出る」と宣言しているからだ。

 01年4月の総裁選は屈辱的なものだった。議員投票に先立つ地域党員投票で圧倒的な小泉人気が判明した情勢をにらみ、途中で降りた。
 この時、亀井氏は途中降板の条件として財政出動を念頭に置いた「緊急経済対策のすみやかな実行」を小泉陣営に要求、両陣営で合意の体裁を整えた。しかし、小泉氏が実際に打ち出したのは「国債発行30兆円枠」など緊縮路線の政策ばかり。
 「政策合意の翌日から2年間も背信が続いている。今回は政策協定を結んで首相に協力することは120%ない」
 約束をほごにされた亀井氏の恨みは深い。

「塗炭の苦しみを味わっている中小企業の現状が、なぜ小泉さんには分からないのか」
 亀井氏の首相批判は日々、エスカレートしている。実際、倒産件数・失業率は高水準で推移しているが、首相の人気は下がらない。亀井氏が会長代行を努める江藤・亀井派内にさえ、「総選挙は小泉総裁の方が戦いやすい」との声がある。
 6月19日の同派総会。江藤隆美会長が「我々は亀井代行を押し立てて正々堂々と総裁選をやる」とぶち上げたが、拍手はまばらだった。「亀井立つべし!」と気勢を上げた若手もいたが、続く者がいない。江藤氏の隣では、事務総長の谷津義男元農相が「タイミングが早すぎる」と苦虫をかみつぶしていた。「亀井擁立」は派内で十分な調整が行われたとは言い難かった。
 江藤・亀井派には、亀井氏の弟分であり、総裁候補の一人としてよく名前が出る平沼赳夫経済産業相もいる。総裁選への対応について、平沼氏は「私は現職閣僚だから、亀井さんと同じレベル(反小泉)ではできない。それは承知してほしい」と言う。亀井氏は「仮に誰も出ず、オレが立つ場合は精神的にサポートしてくれればいいよ」と答えざるを得なかった。

「小泉改革では強者だけが生き残る。弱者がはい上がる道がない」
 弱者の視点に固執する亀井氏は1936年広島県・山内北村(現在の庄原市川北町)で生まれた。「4反3畝の貧農だった」と亀井氏は振り返る。教育熱心だった両親は「寝ている姿を見たこともないほど一生懸命に働き、学校に行かせてくれた」。亀井氏も、兄の郁夫氏(参院議員)も東大へ進学した。
 東大経済学部を卒業した亀井氏は1年間のサラリーマン生活を経て62年、警察庁に入った。埼玉県警捜査2課長を経て本庁警備局調査官室に配属され、連合赤軍・浅間山荘事件(72年)など過激派の暴力事件を担当した。「若者が、なぜ次々と極左に走るのか。社会そのものを変えなければならない。そのために政治家になろうと思った」(亀井氏)という。
 77年12月、退職金350万円を手に警察庁を飛び出し、選挙区(中選挙区の旧広島3区)を一軒一軒歩いた。「3区の自民党は宮沢(喜一・元首相)さんや佐藤守良(元農相、故人)さんがいて、私が入り込めるすき間は狭かったが、中小企業経営者を中心に、本当にいい人たちが応援してくれた」と亀井氏。この体験が亀井氏の政治観の土台になっている。

 6月26日、千葉市内のホテル。「毎日新聞企業人大学」の講師を務めた亀井氏の元へ3人の千葉県議がやってきた。自民党県議団有志は62人の連署で「亀井首相誕生を求める決意表明」を公表しており、その代表だった。地域経済の落ち込みを憂える県議に亀井氏は答えた。
 「小泉さんは金のさじ、銀のさじで育った人だから、こういう声が分からないんだ」
 昨年初め「亀井静香を囲む女性経営者の会」が発足した。仲を取り持ったのは広告代理店「東急エージェンシー」元社長の前野徹氏。ミスター・プロ野球、長島茂雄氏の妻、亜希子さんも名を連ねている。
 ファッションのアドバイスをするのもこの女性たちだ。「ダサイのよお、なんてキツイことも言われるけどさ、ちゃんと聞いてますよ」と相好を崩す亀井氏。最近は明るいグレーのスーツにピンクやブルーのシャツという組み合わせが多くなった。
 「ネクタイで眼鏡をふかない」などファッション以前の助言も多いようだ。

 誰かが小泉首相に挑めば亀井氏は出ないのか。発言力を維持するためにも、出馬に踏み切るだろうと言う見方が多い。「守旧派」「抵抗勢力」というイメージをぬぐい去り、日本経済再建の旗手として支持を広げられるか。「反小泉」の急先鋒(せんぽう)は最大の正念場にさしかかった。

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