活動実績

新聞・雑誌等での亀井静香の発言

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2003.8.15◎東京新聞
防衛論議リードする戦後世代
戦中派議員の危機感

「戦争を知らない子どもたち」という歌が流行ったのはもう三十年以上前だ。今になり、政界では戦争を知らない戦後世代の「新国防族」議員たちの影響力が強まっている。イラク特措法成立などでも主導的役割を果たし、「戦争」に対するアレルギーの薄弱さを感じさせる。この動きに警鐘を鳴らす戦中世代もいる。「抵抗勢力」といわれる政治家たちだが−。


非人間的な混乱体験 「ブレーキ踏む使命」
『日米関係強化と追従は違う』

 「強いガキ大将にくっついていけば、他にやられることはないという意識がある。日米関係はもちろん大切だが、関係を強化することと追従することとは全く違う」
 自民党の亀井静香前政調会長(66)は、イラク特措法の根底に潜む意識をこう批判した。
 亀井氏は終戦時、小学校三年生だった。出身の広島県で原爆投下を目撃している。
 「校庭でイモの手入れをしていたときだ。ピカーと光って、地響きがした。広島市内から約80キロほど離れた村だったが、山の向こうにキノコ雲が上がったのが見えた。数日後に、焼けただれた人が逃げてきた。髪が抜け落ちて死んだ親戚もいる」
 村の助役だった父親も被爆した。少年の頃の原体験として、戦争に対し理屈ではない思いが、体に染み込んでいる。「戦争を防ぐことが政治家の義務なのに、今は戦争に協力することが大義だといわれている」と防衛論議の方向性に疑問を投げかける。
 1992年に国連平和維持活動(PKO)協力法が整備されて以降、一昨年はテロ対策特別措置法、今年はイラク特措法の成立など、「国際貢献」の名のもとに自衛隊の海外派遣が定着しつつある。有事法制関連三法も成立し、戦争に備える体勢が進む。五五年体勢時代ならば、世論や野党の反発で法案成立は困難だった。それが今は次々と国会を通過する。
 「日露戦争勝利後、日本は軍事大国に向かって走った。領土拡張を競う世界の風潮に流されてしまった。政治家が軽々な発言を繰り返し、戦争を防ぐ努力をしないどころか、率先して協力しようとしている現在の風潮は同じように危うい」と亀井氏は危機感を持つ。
 イラク特措法をめぐっては、自民党の野中広務元幹事長(77)古賀誠前幹事長(63)が七月、採決直前にそろって退席した。

警鐘鳴らすのはなぜ抵抗勢力

 野中氏は「自衛隊の出動で傷つく人、亡くなる人、また自衛隊の自衛のためにイラク国民はじめ関係する人の命を奪ったり、けがさせることを思うときに、政治家が責任を持って記名投票をしない国会のあり方について、納得できない」とその理由を説明した。古賀氏も同様の理由を述べた。
 こうした今の政治への危機感を持つ背景には、自身の戦争体験がある。野中氏は、上等兵として守備していた高知県で終戦を迎えた。古賀氏は父親を戦争で亡くしている。
 この体験からか、野中氏は昨年のある講演会で「戦争を知らない若い人にしたら、『年取った人間が何をいつまでも過去を引きずっているのか』という気持ちもあるかと思う。しかし過去を風化させてはならない。時にはブレーキを踏む勇気を失ってはならないという使命感のようなものを持っている」と強調した。

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