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新聞・雑誌等での亀井静香の発言

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2003.9.15◎新国策 (会員懇談会 2003.7.31)
政局秋の陣

グローバリゼーションの名の下に、われわれは日本の美点や独特の経済システムを捨ててきたが、国家には反省すべき歴史もあれば栄光の歴史もある。掛け声だけの小泉政治に幕を引き、国家再建の秋がきた。


滔々たる流れ


 日本は、大変な事態になっている。
 縦軸も横軸も消えてしまっていて、そのうちアメリカと中国との狭間で溶けてしまうのではないか。
 経済だけが問題なのではない。われわれの先人が長い間育ててきた日本人としての美しい魂をアッと言う間に捨て去ろうとしている。つくづく思うのは、日本はやはり神々の住みたもう国ということだ。森さんのように「神の国」とは言わないが、そう、実感している。
 こういう国家の危機において、九月には自民党総裁選という区切りがなされるわけである。前から申し上げていることだが、滔々とした大きな流れはすでにできている。誰もこれに抗することはできない。中には、政策転換という条件を認めれば支持するようなことをおっしゃる方もいるが、こんな枕詞みたいなことを言ったところで、どうこうならないことは明らかである。
 そういう意味では、秋には、日本民族が再び力強い歩みを始めることができると確信している。小泉総理も、この期に及んであまり目茶苦茶なことをおっしゃったり、されたりするのはやめて、どのように有終の美を飾っていくかをお考えになる時期にきたのではないか。

真空状態の政治


 ここで小泉政治を批判しても、残りわずかの任期だから、あまり意味はないだろう。ただ、政治が目茶苦茶になり、社会、経済が混迷を深めている状況について、私の判断を申し述べさせていただくことは、これから何をやろうとしているのかをご理解をいただく上でも、必要なことだと思う。
 いかにして日本を再構築していくか。壊されているのであれば、また組み立てればいい。しかし、壊されているどころか、日本は溶かされてしまっているのである。この再建は難作業である。小泉さんにお引き取りいただければ、それで日本が突然よくなるというものでもない。きわめてやっかいな状況ではあるが、皆様方と力を合わせて、われわれ政治家は全力を挙げて取り組んでいきたいと考えている。
 いま日本がおかしな状況になっている原因は何か。
 「民主主義」と言っても、アメリカ型もあれば日本型もあり、ヨーロッパ型もある。金太郎飴のように全部同じでなければならない理由はない。この日本においては、戦前から政党政治または議会制民主主義という制度が続けられてきた。もちろん戦前と現在では、全く同じではないが、議会制民主主義が戦前戦後を通して培われてきたことは間違いない。
 ところが現在は、残念ながら、国民から選ばれた国会議員は、国会の中で投票機械のように手を挙げたり下げたりしているだけである。本来は政党が国家・国民のためにきちんとした政策を立案していかなければならない。そして政府と擦り合わせをしていく中で政策決定がなされ、行政機関によってこれが実行されていかなければならない。
 しかし、いま行われている政策決定はどうか。必ずしも国民から選ばれていない学者(立派な方はもちろんたくさんいらっしゃるが)を集めて、ご自分は「改革」と言っているが、中身は全部そういう人たちに丸投げをしてしまう。そして出てきたものに対して「党は黙って従え」と言う。
 そんなことで、本当に国家・国民のためのきちんとした政策が生まれ、実行されていくのだろうか。いま日本の政治は真空状態にある。議論もきちんと行われていない。

自ら国を守る態勢を


 「イラクの法案は通ったじゃないか」とおっしゃるかもしれない。政治家の一番大事な仕事は何か。生活をよくすることも大事だが、なにより大事なことは、戦争を防ぐことだ。われわれだけが幸せということではなくて、我が国が巻き込まれる戦争はもちろんのこと、この小さな地球上のあらゆる戦争をどう防いでいくか、それが政治の使命である。
 いまアメリカが巨大な軍事力をもっていて、これに抗する者がいないからといって、それと同盟関係を組んでいる日本が、その場の雰囲気で支持するかどうかを決めるというようなことで本当にいいのか。日本はアメリカに対して適切な助言をしているのだろうか。
 私は今年の一月、講演を頼まれて訪米したときにも、アーミーテージはじめ政府要人に自制するように強く申し上げたが、残念な状況になってしまった。いまは、戦争を防ぐということよりも、戦争に協力することが政治家の務めだというような妙な風潮がある。それは永田町だけではない、マスコミを含めて日本中に蔓延している。極めて危険な状況と言わなければならない。
 また一方では、喩えは悪いが、喧嘩の強いガキ大将の後に黙ってくっついていれば、他の不良少年からやられる心配がないというような、およそ独立国家とは言えない風潮が安全保障の面についても見られる。本当にそれでいいのか。自らやられない努力をしないで、本当に助けてくれるのか。
 ノドンが百基以上配置されて日本を狙っている。これは東京にも飛んでくるが、アメリカには届かない。アメリカはアラスカの一部を除いて、現時点においては直接的な脅威は北朝鮮から受けていない。日本は安全保障上の直接的な脅威を受け、また拉致という残虐な非道を、国家主権を侵される形で受けている。五人の家族の方の帰国も、もちろん大事だ。全力でやらなければいけないが、それだけですむ話ではない。
 イージス艦とパトリオットの改良型とを組み合わせれば、全部は無理にしても、現時点でもある程度は北朝鮮からの攻撃を防ぐことはできる。五千億円か一兆円もあれば釣りがくる。ところがこの通常国会で直ちにやろうとはしない。
 延長国会ではイラク法案が成立した。しかし、残念ながらこんなものは使えない。集団的自衛権の問題について憲法解釈をせずに、どうやってあの地に自衛隊を出せるのか。憲法上集団自衛権の行使が絶対できないということであれば、イラクに自衛隊を派遣することなんかできない。正当防衛、緊急避難というようなことを言っているが、あそこの司令官は「全域が戦闘地域だ」と言っている。そんなところに、基本的なことをきちんとしないで自衛官を派遣できるのか。党議決定しているから私も起立したが、こんな法律はできても使えない。
 我が国を自ら守っていくということについて、何をやっているのか。何もやってはいない。国民全体に、そういう意識が欠如している。

小泉政治は「原因」ではなく「結果」


 経済については、ご出席の皆さんは、ほとんどが実務に携わっている方々、あるいはそれを指導しておられる方々だろうから、私がいまの経済の実態をどうだこうだと言う必要はないと思う。
 一部にはアメリカへの輸出--円安に助けられている輸出によって、利益をあげた勝ち組の企業もあるだろう。また大企業には、リストラによってコストを下げて黒字に転じているところもあるだろう。しかし国全体を見た場合、日本はまさに縮んでいる。国民所得も下がっている。縮小均衡というデフレスパイラルに向かっている現在の状況を止められるような政策は、一向に実現していない。成り行きに任せているだけ、あるいは円安頼みの話になっている。「アメリカの株高につられて日本の株も上がる」というようなことに頼っているのが、残念ながら、いまの日本なのである。
 皆さん方の企業もそうかもしれないが、東京の本社を残し、あとは全国の支店も工場もどんどん閉鎖して外国に工場移転している。これは経営者の立場からすればやむを得ないことかもしれない。昨年一年間で、一部上場企業の海外移転は10%を超えた。たいへんな数字である。そのため下請け・孫請けの中小企業・零細企業は仕事がなくなるわけだから、どんどん店を畳んでいる。
 小泉総理は。よく「セーフティネットと張っているから大丈夫だ」という。ではトヨタをはじめ対米輸出で儲けた企業が、その儲けで今後とも、失業保険、生活保護を全部払っていくのか。そんな国家運営ができるはずはない。20年前、われわれ日本民族は世界が真似のできない持ち前の勤勉さや叡智をフルに働かせて世界一の経済大国になった。50数年前に敗けたアメリカに勝って世界一の経済大国になった日本だが、いまやその面影はどこへ、という状況に突き進んでいる。
 この原因は何処にあるのだろうか。私は二年前からの小泉総理の経済失政が状況に拍車をかけていると判断する。しかし小泉政治そのものが原因では必ずしもない。むしろこの二十数年、われわれ日本民族が間違った方向にどんどん歩み出していった、その結果として小泉政治が生まれたと考えている。
 したがって、九月に小泉さんを代えれば、それで事がすむような状況ではない。それだけいまの日本は深刻だと思う。
 われわれ自信の生活の仕方、会社経営の仕方、商売の仕方によって、われわれは世界一になった。何の文句を言われることがあるか。それでどこに迷惑をかけたのか。
 もちろんアメリカとの貿易摩擦等が一時はあったが、それを言うなら日本だってアメリカから迷惑を受けていることはしょっちゅうある。にもかかわらず、グローバリゼーションという名の下でわれわれのやり方をすべて捨て去ってしまった。アメリカにもいい面はあるし、それは取り入れればいいと思うが、そうではなく、この二十年間の間に、悪い面だけを取り入れていくという、怒濤のごとき流れが生まれた。

何を捨て、何を守るか


 私は、政治家を二十五年やっているが、本当にたいへんな責任を感じている。その結果として、日本経済は釣瓶落としのごとき状況になってしまった。アメリカの経済システムに基づいた企業会計基準、会社経営のやり方、あらゆることを真似し、自らを捨て去ることによって、日本経済に活力が生まれただろうか。残念ながら衰退しただけである。
 二十年前まで、ほとんどの経営者が持っていた未来に向けての激しいチャレンジ精神が、いまどれだけあるだろうか。景気・不景気は世の常である。景気が悪くなっても昔の経営者はいまのように簡単にリストラと称して従業員をクビにはしなかった。いまや労働組合も経営者と一緒になってそれをやっている。ストライキをしないから、組合費は貯まる一方で、カネが余って仕方ないから、「今日は赤坂、明日は銀座」。そういう経営で日本経済の将来はあるだろうか。
 中にはそうではない人もいる。東レの前田勝之助さんとは時々食事をするが、「亀井さん。縁があって東レに入ってくれた従業員、縁があって取引をしてくれている下請け・孫請け、取引先、こういう人たちを幸せにしないで、東レがカネを儲けてもしようがない」とおっしゃるのである。
 昔はそういう経営者が多かった。いまは自分の会社を唯々諾々と外資に売り飛ばしている。昔は従業員が余れば商品開発をし、技術開発をして新しい製品を生み出し、それで余剰労働力を吸収していった。その結果二十年前に、日本は世界一の経済大国になった。いまは切って、切って、切りまくるということしかやらない。
 去年びっくりしたことがある。主税局長が「亀井先生、税制改革で何をやっていくかご指導ください」なんて来たものだから、「一つは研究開発、投資減税をやるべきだ」と言ったら「分かりました。やりましょう」と帰っていった。一ヶ月たって「先生やろうったって対象がありません。いまの大企業は研究開発まで外国に委託しています」と言うのである。
 工場も外国に出す、研究も外国に委託する、そのほうがコストがかからない、手っ取り早いからである。しかしこんなことでは日本経済の未来はない。こういうことを放っておけば、小泉さんを代えて、積極財政にしたからといって、日本経済が立ち直っていく保証はない。

安売りされる日本


 いまわれわれにとって一番大事なことは何か。われわれのやり方にも間違ったこともあれば、直さなければならないこともある。外国の仕組みの中に取り入れなければならないことはたくさんある。それについては貪欲に取り入れていけばいい。
 しかしいま大事なことは、われわれの先人が堂々とこの日本列島で築いてきたいいものは何なのか、捨てなければならないものは何なのかという具体的な検証もしないで、すべてを捨て去り、アメリカの猿真似をすることがグローバリぜーションだと称して、それを唯々諾々とやってしまっている。この状況をどうするかということだ。

ハゲタカの餌食


 いま日本そのものが安売りされている。
 RCC(整理回収機構)、産業再生機構、私はあんなものは機能しないと言っている。「この企業は残す、この企業は潰す」なんて、お上がどうやって決められるのか。社会主義国家でもやれないようなことをやれるはずがない。でも「やる」と言って出発した。マスコミはそういう仕組みができれば、「あっ、これで日本経済は再生するのかな」と言う。冗談ではない。実態はどうか。RCCも産業再生機構もハゲタカのバーゲン市場になってしまっている。
 これは日本人も悪い。そうした再建処理の過程の中にどんどん入っていくという日本企業がない。外国のハゲタカにとっては極めて都合がいい状況になっているわけである。東京でもどんどん高級マンションが建っているが、一体誰が入っているのか。われわれの堂々と築いてきた資産がそういう形で奪い取られていく。
 銀行もそうだ。りそな銀行に、今度は二兆円程度つぎ込み、全部で三兆円に上った。ならばりそな銀行はきちんとやっていけるのか。私は、下手をすれば新生銀行と同じような運命をたどっていく可能性があると思う。その他の大銀行も、本当に民族資本として生き残れるのか心配だ。新生銀行は十億円の税金をつぎこんでいろいろやった揚げ句十億円で売り飛ばした。いま彼らは貸し借りなどほとんどしていないのに、五百八十兆円も稼いでいる。
 私が政調会長をやったとき、金融庁は「中小の金融機関は三十いくつ潰す」と言った。これに対して「ダメだ。俺が政調会長の限りは絶対許さない。中小零細の金融機関に対して重箱の隅をつつくようなことをやって、『お宅はいい、お宅は悪い』というのはおかしな話だ。まだ返してくれていないかもしれないが、儲かるようになればちゃんと返してくれる。まだ債権回収されていなくても、ちゃんと融資をしていった。そういう人間関係で結ばれているような中小零細企業を相手に『BIS(自己資本比率)規制がどうだこうだ』と言う。別に外国で資金を調達するわけでもないではないか。中小の企業に対してなんてことをやっているんだ」と言った。しかし、私が政調会長を辞めたら一年間で五十七機関が潰された。
 その結果、日本の金融システムはよくなったか。カネが回らなくなっただけの話だ。中小零細企業のいまの大変な状況というのは、まさにまともな融資が受けられなくなったことによる。逆に不良債権の直接償却、すなわちハゲタカに対して餌を与えるということで、残念ながらアメリカの格好の餌食になっている。まさか、そのためにやったのではないだろうと思うが、小泉さんが不景気にするような政策をとる中で、「不良債権の直接償却を急げ」と言ったら、どんな結果になるか、分からないはずはない。
 一月にアメリカに行ったとき、私はアメリカ政府の要人にも「正確な情報が上がっていない」と言った。景気をよくしていく中で不良債権の処理をしていくなら分かる。もともと不良債権なんていうものは存在するはずがない。貸す方だってちゃんと審査して貸し、借りる方も返そうと思って借りている。景気が悪くなれば返せなくなり、不良債権化するのは当たり前の話だ。それをいま何が何でも処理しようとするから、カネを借りられないどころか、借りているカネもどんどんひっ剥がされている。経済的理由による自殺者は、だから急増している。

内需拡大


 日本は一千四百兆円という世界に冠たる金融資産を持っている。世界の貯金の六割が日本人の貯金なのである。さらに四千八百億ドルを超える外貨準備高がある。このような日本で、なぜ中小企業・零細企業の経営者が毎日毎日命を断っていかなければならないのか。そして日本の資産がどんどん外資に押されていくような、そんな経済運営をなぜしなければならないのか。子どもが考えたって分かる話だ。
 ところがそういうことが、まさにグローバリゼーションという名の下でどんどん推し進められているのである。
 最近、ようやく反省が生まれてきたが、大変な事態である。私はアーミテージなど米国要人に対して、ことあるごとにこう言っている。
 「アメリカがどんどん背中を押してそんなことをやったら、あなたたちも困ることになる。たしかにハゲタカは餌がどんどん出てくれば、それを食べるかもしれない。しかし日本経済が沈んでいった場合、どんなに安い買い物をしたって、食べたけれども消化ができなくなり、結局はハゲタカはアメリカに飛んで帰れなくなる」
 例としていいか悪いか分からないが、そう話をした。
 いまやるべきことは簡単だ。内需を拡大していくことしかない。その内需拡大が税金の無駄遣いになり、してはならない借金をしてやることなのかどうか、そこがポイントだ。私は橋本内閣に猛烈に反対した。私はそういう巡り合わせなのである。閣外に出たときも自民党の中でただ一人、総務会で橋本さんに「責任を取って辞めなさい」と言った。しかし橋本さんが偉いのは、「我、過てり」ということでアナウンスなき政策転換をしたところだ。政治家はそうでなければならない。
 そのあとの小渕内閣、森内閣で、私は政調会長を務めた。すべて任せるということであった。マイナス成長から二年前の四月には二パーセント成長までもってきた。その延長線上で考えれば、日本は世界一の資産国家、債権国家である。何も経済を縮小させるような路線を取る必要はない。これが小泉さんと真っ向から対立している点である。
 ところが亀井静香の人相が悪いばかりに、国民の皆さんは、小泉さんを九〇パーセントが支持してしまい、小泉さんは自信をもって私との政策協定を破った。私を苦労して育ててくれた親だが、このときばかりはこんな顔に生んだ親を恨んだ。
 そして小泉さんは、いまの状況を作り、今後も続けようとしておられる。「政策転換をしてくれれば支持する」という方がいらっしゃるが、甘い見方だ。すでに、いままでどおりやることを財政経済諮問会議で決めているではないか。そういう方針の中で、役所はいま概算予算要求、予算を作っている。このタイミングで政策変更などあるはずがない。

やることはいっぱいある


 内需拡大で、やることはいっぱいある。東京だって、せいぜい青山ぐらいまではきれいな町だが、世界の首都に比べて日本はゴミ箱同然ではないか。これを世界一の首都にふさわしい町にしたらいい。
 開かずの踏切が東京には何百とある。一時間のうち十分か二十分しか通れないというのでは道路ではない。用地買収をして立体交差化を進めるべきだ。
 また東京電力は何を勘違いしたか、天下の公道を自分の社有地と勘違いして電柱を立てている。こんな商売をしても、誰も文句を言わない。おかしいではないか。そんなものは地下に埋めて、高速の光ファイバーを通していけばいいのである。いまや韓国に大きく差をつけられた。
 また羽田の拡張も、牛のよだれのようなことをやっていては駄目だ。こんなものは第三空港をつくればいい。そう言うとマスコミは「公共事業だからダメだ」と言う。おかしな話である。
 この間も熊本で、痛ましい被害が起きた。日本は台風銀座である。地震もしょっちゅう起きている。そういう自然災害からわれわれの生命・財産を守るのが政治の努力ではないのか。それが公共事業ではないのか。かつて建設大臣のとき、鹿児島の出水市で土石流災害が起こると現地にすっ飛んでいった。見たらなだらかなところで、こんな所で土石流が起きるなど考えられない。さすが建設省である。危ないということで二つの砂防ダムを造っていた。それがあったために被害があの程度ですんだのだ。あれがなかったら、何百人何千人という大変な被害が出ていた。こんなことをマスコミは全然報道しない。長野の田中知事みたいに「ダムはダメだ」と言っていれば当選してしまう。
 田舎に行けば、水洗トイレはまだ二〇パーセントぐらいしかない。そういうものをきちんとしていくのがなぜいけないのか。緊急経済対策で私が決めて森さんが閣議決定して、「やろう」となった。あのとき石原都知事も太田大阪府知事も「やりましょう、やりましょう」ということだった。大蔵省は頑強に抵抗したが、私は押し切った。それをやろうと思っていたら小泉内閣になってしまった。
 いまそうした内需拡大は、子どもや孫たちに借金を残すからいけないと言われる。しかし、孫や曾孫のために、この日本列島を世界に比べても美しい日本として残していくということを、なぜいまわれわれがやったらいけないのだろうか。そのことが膨大な内需を当面喚起する。そうした中で、あらゆる産業が元気づいて、ニュービジネスがどんどん出てくる。需要がないところにニュービジネスは出てこない。それと併せて、科学技術振興のためにカネに糸目をつけず思い切った処置をとる。
 もちろん社会資本、生活環境をよくするという、これだけの内需で将来ともやっていけるはずがない。よくなると、そういう内需はなくなる。
 問題は、そういう入れ物を使って何をやって生きていくかということである。私は最先端技術の新しい商品をどんどん生み出し、これを世界に売っていくことしか生きる道はないと思っている。いま中国にどんどん工場を移転しているが、日本は最先端技術で勝負する。その最先端技術の部分においては、なかなか外国に工場を造るということはできないと思う。
 イタチの追いかけっこになるかもしれない。しかしそれをやっていく以外に日本の生きて行く道はない。また、それをやれるのがわれわれ日本民族である。二十年前まではやったではないか。私はそういう政策を秋以降、思い切ってやらなければならないと思う。
 冒頭にも言ったが、安全保障の面でこんなことをしていたら、日本は外交上の交渉能力すら失ってしまうだろう。親権者に全部預けてしまうということになってしまう。そういう状況からどうしても脱却する必要がある。

言葉が踊っただけの「改革」


 小泉さんは具体的な中身もおっしゃらずに、ひたすら「改革」ということを言われた。しかし二年間、どんな改革が行われたか。何もないではないか。言葉が踊っただけである。唯一改革らしきものは、郵政の公社化かもしれない。しかし、これも無責任な話だ。自分が法律を出して、総裁まで決めて四年間の経営計画を出したにもかかわらず、今度は三年で民営化しようと言っている。こんな朝令暮改みたいなことをやっていいのか。小泉さんの言う改革とはそんなものだ。
 道路公団の民営化についてもそうだ。いま高速道路は、料金徴収も、サービスエリアでラーメンを売っているのも公団がやっているわけではない。全て民間がやっている。パトロールも道路補修も民間がやっている。公団がやっていることは道路建設だけだ。これも建設自体は建設会社がやっている。
 どこに高速道路を造るか、どういう形でやるかといったことを、採算ベースでやらざるを得ない民間会社に任せるとどうなるか。「ここは儲かりそうだからやる」「圏央道は儲かりそうかもしれないが、一キロ一千億円以上かかります」。採算ベースに合うかどうかという面から勘定したら、何千年先の話になってしまう。道路建設とはそういうものではないだろう。
 また今後は高速道路を造らないとおっしゃる。国民の税金と通行料ですでにできている高速道路を、なぜ猪瀬株式会社や今井株式会社にくれてやらなければいけないのか。なんで財界にくれてやって、彼らの金儲けの手段にしてやらなければいけないのか。誰が考えたっておかしな話だ。改革とはそんなものではない。
 手前味噌なことを言うようだが、私は建設大臣のときに改革を二つやった。ファミリー企業がヌクヌクと太っていた。調べてみると全部随意契約だった。公団の天下りの幹部がやってる会社が儲かるように、仕事を独占的に出すのである。これで儲からなかったら不思議だ。全部まるまる儲けていた。それで私は道路局長に、直ちにこれを全部オープンな入札にさせた。それが本来の入札としての機能を果たしていない面がいろいろあるようだが、しかし私はとにかく制度として変えたのである。
 また「ラーメンの味からうどんの味から、みんな一緒だし、値段も一緒じゃないか、もっと激烈にサービスエリアを隣同士競争させろ。向こうに行って食ったほうがうまいというしくみにしろ」と命じた。道路施設協会の分割も指示した。道路局長は「分かりました」と帰って、二ヶ月ぐらいで「このようにします」と、案を持って来た。見ると「東日本施設協会、西日本施設協会」と書いてきたから、私は怒鳴りつけた。
 「馬鹿にするな。二つに分けただけでは意味がない。まだら模様にして隣のサービスエリアの店同士が競争できるようにしろと言ったんだ。東日本と西日本に分けるんだったら、天下り先を増やすだけの話じゃないか。こんなことを指示した覚えはない」
 いまの姿がそうで、まだら模様に分けさせている。
 そういうことが改革であって、民間会社にくれてやるというようなことは、改革でも何でもない。
 高速道路は無料化すればいいと思う。当面は夜間だけ無料にしてもいい。これで流通コストがどれだけ助かるか。将来的には全部無料化にすべきだと思うが、当面は夜間とか盆とか正月とか、時期を選んでやるのもひとつの手だ。そういうことをやるのことが大事なのである。

民族の魂を取り戻せ


 この二年間で本当に壮大な無駄をやってしまっている。お暇だったら私が出した『劇的日本大改造』という本をお読みいただきたい。根底から変えるようなことをやらなければならない。
 戦後GHQの支配の中で、アメリカは日本人の魂を抜き去っていった。アメリカにとって強い競争相手にならないようにしようとする政策の中で生きてきた日本。ここでもう一度民族の魂を取り戻していくことを基本にする。それをやらないで、ちまちました経済政策をやっても駄目だ。
 やることはいくらでもある。いま市町村合併を一所懸命やっているが、こんなことをどんどん進めたら県はどうなるか。中二階になって、ただでさえもすることがないのに、ますます巨大な権限と巨大な組織を持つことになる。私は道州制に移す必要があると思う。こんなことは簡単なことだ。
 教育についても、子どもの犯罪がこんなに増えているのは、子どもたちが悪いということではない。親、大人が悪いのである。親の毎日の生活を子どもが見て育っている。「自分さえよければいい」、そんな親の姿をみて育っていれば犯罪も増える。「人の幸せのためには自分が犠牲になってもかまわない」という生き方をお父さん、お母さんはしているだろうか。お父さん、お母さんはやりたい放題のことをやって、浮気の競争までやっている(笑)。こんなことを言うから亀井は柄が悪いと言われるけれども。そういう状況の中で子どもたちがおかしくなるのは当たり前の話だ。
 とくに男性がダメだ。男性としての役割を果たさなくなった。社会が乱れてきて液状化現象を起こしたのは、それに尽きると思う。
 女性はすてきだ。見た目で分かる。政治家は見た目では分からないと、商売務まらない(笑)。どこの田舎に行っても、いまは薄汚れたおばあちゃんはいない。輝いている。見た目だけではない、内面から輝いている。それに比べて男性は道を歩いていてもうつむいている。別に落ちた百円玉を探しているわけではないだろうが、うつむくのがくせになってしまっている。会社に出ると、女の子に「お茶を汲んでくれ」ということすら言えなくなってきている。家に帰っても女房に「飯を作ってくれ」ということが言えなくなっている。ただ働いて、女房が使うために給料を運んでいるという存在に成り下がっている。そんな社会がうまくいかなくはずはない。男性が毅然として、男性の持っている良さを発揮していく、女性は女性としてよさを発揮していく社会。そういう中でいい子どもたちが育つのである。
 昔は親父がぶん殴る役だった。皆さん方も殴られたと思う。お母さんは「よしよし」とそれを慰める役だった。そういう役割分担ができていた。私の親父は兄貴ばかりかわいがって、私のことが憎らしくてしようがないのではないかと思うぐらい殴られた(私が悪いことばかりしていたからだが)。隣近所の親父からまで殴られたものだ。学校に行くと、先生が待ち構えていたように、足払いをかけられて倒された。みんなが窓から鈴なりになってそれを見ていた。そんな思いばかりしていたが、いまでは感謝している。私が悪いことをしたのだから当然だ。私も生まれたときは、かわいい光源氏みたいな顔していたから静香という名前を付けられた(笑)。ところが、そうやられているうちにドンガメみたいになってしまったのだ。
 おふくろは死んでしまったが、どんなに私が悪いことをしても一切私を叱らなかった。本当に菩薩のような愛でかわいがってくれた。日本の家庭というのはそういうものだったが、今は崩壊してしてまっている。その原因を作っているのが男性だと思う。
 しかし、これはこういうところで皆さん方に言うことではない。国家が誇りと自信を失っている中で、日本男児が育つはずはない。結局は政治の責任だ。国家の歴史には無惨な歴史、反省すべき歴史もある。しかし同時に栄光の歴史もある。世界に誇る歴史もある。われわれが子々孫々に伝えていかなければならない先人の足跡もある。そういうことを教育の中でもちゃんと教えてこなかった自民党----私にも責任がある。非力をお詫びする以外ない。

後世に対する責任とは


 われわれは、後世に対して、どう責任を果たしていくか。
 イギリスの真似だけしていていいのか。サッチャー革命だといって踊らされ、国が売られる。イギリスの場合、売られているわけではないが、民族資本などなくなってしまった。いまは水道までそうだ。地下鉄も金融機関は全部ユダヤ、アメリカ、ドイツ資本である。イギリス人はただそれに使われているだけだ。
 しかし、日本は世界に冠たる資産を持っている、世界一の債権国である。借金もたくさんあるといってもアメリカが借金を取り立てにくるわけではない。七百兆が少々増えたところで、世界の誰が借金を取りにくるのか。
 いよいよの場合は日銀が引き受ければいい。日銀に引き受けさせて金庫にしまっておけばいいのだ。日銀が政府に「金を返せ」と言ってくるか?そんなことあるはずがない。そんなあるはずがないことを、机上で借金七百兆と騒いでいる。これを言ったら大変な話になる。場合によってはやり繰りはいくらでもできる。無利子国債を出して日銀に引き受けさせればいい。それを原資にしていまの債務を処理する方法だってある。日銀に対しては五十年、百年たって、そこで国家財政が立ち直ったときに、百年前の借金を返せばいい話だ。それで経済が混乱するのか。一体誰が困るというのか。全て国内の話、右のポケットと左のポケットだけの話だ。
 こんな当たり前のことすら国民は分からなくなってしまった。いまでも「亀井さんの言うとおりにすると借金が増えて、孫や子、曾孫が困るじゃないか」という人がいる。冗談ではない。孫も曾孫も新幹線に乗る、飛行機に乗る、下水道も使う。何もわれわれが彼らにタダで全部使ってやって、タダで使わせなければならない理由はない。孫や曾孫にも応分の負担をさせればいい話だ。そうした中で国の借財、国民所得の比率を減らしていかなれければならない。
 しかしこれは国内の話だから、五十年、百年かけてゆっくりと処置をしていい話だ。どこかの大学教授が今でも「五年、十年でちゃんとしないと日本はひっくりかえる」というようなことを言う。それに対して私は「先生、日本という国は五年や十年でなくなるんですか?違うでしょう、何百年も続くんでしょう。その長い中で処理していくのが政治だ。目先のことだけで大変だ、大変だと大騒ぎしているのは政治じゃない」と意見を言った。
 さすがにいまでは評論家も二年前と違い、全く間違った財政理論、経済理論を私に対してふっかけるものはいなくなった。
 今後、思い切った政治を展開していきたいと考えている。


堂々と靖国参拝を


Q 『日本劇的大改造』に靖国神社のことが書いてある。八月十五日に、天皇陛下、総理大臣、全国民が靖国に参拝できる国になってこそ日本民族の魂の復活があると思う。なぜ参拝できない国に成り下がったのか。


亀井 靖国参拝問題というのは魂の問題で、代替する祈念塔や施設を作って、そこでお参りすればいいものではない。靖国のあの森から英霊の魂がそちらに飛んで移ってくれるかというと、移ってくれない。私も毎年お参りをさせていただいている。
 ただ私は二十五年前、当選して最初の時に靖国神社に集団でお参りする国会議員の会に入り、お参りした。しかし自民党の国会議員が隊伍を組んでお参りしていくという状況の中に私自身も身を置き、「やっぱりこれはいかん。来年からは一人でお参りしよう」と決意し、以降ずっと一人でお参りをしている。何も遠慮などいらない。お参りすればいいだけの話だ。
 私は先般、中国に行って曾慶紅国家主席に対しても、「靖国の問題は文化の問題だ。中国の場合は憎き奴は死んだあとも引っ張り出して、また制裁を加えるような国だが、日本は違う。死んだらみんなが神様になって、みんなで供養する国だ。だからお宅の国の文化を日本に持ち込むわけにはいかない。そんなことばかり言ってたら、いつまでたっても仲良くやれない」と言った。私は靖国の問題については、やはり堂々と参るべきだと思う。
 ただ、先ほど私が一人で参ったということで、若干ご理解いただけるかもしれないが、中国、韓国などは正確に近世史を理解せず、また日本人の魂のありようの問題について理解をせずに、「けしからん、けしからん」ということを言っているが、彼らが声を上げて「けしからん」と言っていることは事実だ。全部お隣さんである。
 これはたとえがよくないが、部屋でカラオケを楽しんでいる。何で隣近所に遠慮がいるか、隣近所が「うるさい、もうちょっと声を落としてくれ」と、「いや別に俺の家の中でやっているんだから、あんたたちに関係ない」と、音量も落とさずに堂々と歌を歌っていいのかということになる。やはり同じ町内会で、引っ越しするわけにはいかない。生活をしている以上は、隣近所の人たちの気持、感情というものを無視しては、付き合いができない。
 韓国・中国と付き合いをせずに、日本は北東アジアで生きていけるかという現実の問題もある。だから何の遠慮もなしに、「われわれがお参りするのがなぜ悪いのか。総理、天皇陛下がお参りするのがなぜ悪いのか」という態度でいいということにもならない。
 私が総理になった場合、いろんな形で中国・韓国に対して理解を求める。それでもどうしても聞いてくれないとき、当面は理解をしてくれなくて、近所の付き合いがゴタゴタしても、それはかまわないという選択をしていくのかどうか。私はそのときには、自らが決断をしなければいけないことだと思っている。

※無断転載を禁ず


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