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2003.9.24◎NEWSWEEK
守るべき「亀井静香的」な温かさ

視点 日本の有権者が待ったなしの改革を求める気持ちはわかるだが欧米のように、すべてを無駄と切り捨てることが必要なのか


 10月、私がひと夏を過ごしたイギリスから戻ってくるころには、自民党総裁選は終わり、日本はさらなる改革に踏み出しているだろう。裏取引や利権体質、派閥といった自民党の悪しき伝統を受け継ぐ亀井静香・前政調会長ら保守派の候補は、まちがいなく敗れ去っているはずだ。
 世界第2位の経済大国の国民が求めているのは、待ったなしの改革だ。だが果たして、日本のすべてを変えてしまう必要があるのだろうか。
 関西国際空港に到着し、西宮まで電車に乗ると、古びた建物やむき出しの電線といった灰色の風景が続く。だが緑豊かで広いイギリスの家から、なんの変哲もない日本の郊外の窮屈なアパートに戻ると、私の心は浮き浮きしてくる。
 私はこの10年ほど、イギリスと日本を行き来する生活を続けてきた。家の近所でママチャリを乗り回したり、商店街をぶらぶらしたり、時刻表どおり動く電車で大阪に繰り出したり。こうしたすべてが日本における生活のささやかな楽しみとなり、決して飽きることはない。
 それ以上に楽しみなのが理髪店だ。行きつけの理髪店では、シャンプーをしてから髪をカットし、ひげを剃り、蒸しタオルを顔にのせ、肩までもんでくれる。機械的に髪を切るだけのイギリスの理髪店とは大違いだ。
 もちろん、これは日本の芸術でも伝統文化でもない。だがこの手の日常のささやかな喜びは、日本に住む多くの欧米人にとってこのうえなく魅力的に映る。
 大半の欧米諸国では、コスト効率を追求したせいで、こうした喜びが失われてしまった。イギリスのガソリンスタンドでは、従業員が走り寄って窓をふいてくれることなどない。店員もタクシーの運転手も無愛想だし、夜道を歩くのも安全とは言えない。
 店員の顧客への気遣いや自治団体の市民サービス、信頼のおける公共交通機関……。これらを「無駄」と呼び、切り捨てる欧米式改革を行うことで短期経済見通しが回復するというなら、日本にはそんな改革など必要ないだろう。
 欧米では、車や大渋滞、巨大なショッピングセンター抜きの郊外生活などありえない。母親が自転車の後ろに子供を乗せ、前のかごに買い物袋を入れて、近所を楽しそうに走り回る光景を目にすることはできない。

地域社会のもろい日常


 亀井は確かに、古い自民党の代表かもしれない。だが地域社会に欠かせない零細な商店を守ろうという彼の主張は、まちがっているのだろうか。
 私が、エズラ・ヴォーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』などの日本論を読んだのは、まだケンブリッジ大学の学生だった15年前のことだ。これらの本に描かれた日本は、まるでスーパーマンの国だった。企業も役所も市民に優しい。国家は、近視眼的で非情な欧米社会よりも将来をしっかり見据えているーー。
 だが89年に株価が下落を始めると、状況は逆転した。「失われた10年」を経た今では、日本の社会と行政システムすべてが根本的にまちがっているようにもみえる。
 とはいえ、エコノミストはすぐに自説を変えるものだ。ほんの数年前まで、社会の結束力を高めるとして終身雇用制度を称賛していた人々が、今では若い才能を抑えつけ、労働の流動性を阻害する要因だと述べている。社会の先見性を表すとされた公共事業も、現在は途方もない税金の無駄使いという位置づけだ。
 言うことがころころ変わっても、エコノミストの名声に大して傷はつかない。だが、地域社会のかけがえのない日常生活は脆弱だ。地元の商店やサービス業者が、コストを厳しく削減した大型店の攻撃に突然さらされれば、壊滅的な影響を受けかねない。

日本が直面する真の危機


 経済不振と国際社会での信用失墜を招いたさまざまな要因を一掃したいという、日本の有権者の気持ちはわかる。それに、改革は今に始まったものではない。19世紀半ばに西洋に門戸を開いて以来、日本は常に国際情勢の変化に応じて変化を遂げてきた。
 日本が直面する本当の危機とは、日本経済の再生を求める欧米諸国の圧力に屈し、日本的な生活を破壊するような政策を進めることかもしれない。日本を欧米のように変える必要がどこにあるだろう。
(筆者は兵庫県西宮市に在住。著書に『日本人が知らない夏目漱石』がある)。

ダミアン・フラナガン(日本文学研究者)

※無断転載を禁ず


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