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新聞・雑誌等での亀井静香の発言

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2005.11.1◎毎日新聞(夕刊)特集WORLD
紅葉に託す・・・
亀井静香的ココロ

国民新党代表代行の亀井静香さん。ご自身、なんとか刺客はかわしたものの、所属議員わずか6人のミニ政党ではねえ。いくら顔はでかくとも、小泉純一郎首相のガリバー自民党に踏みつぶされやしません? 気になって会いに行ったら、絵筆を握っておられて。
【鈴木琢磨】


 大きな窓から、どこかしら寂しげな秋の日差し。東京・四谷のビル9階、エレベーターの扉が開くと、そのワンフロアが亀井さんの個人事務所兼アトリエだった。闘将もニコニコ、すっかり日曜画家の顔である。かねて絵心はおありと聞いていたけれど、創作の現場を拝見するのは初めて。油絵の具のにおいがたちこめていた。
 「子供のころから絵を描くのが好きでね、図画の成績だけはよかった。絵をやりだしたのは、建設大臣やったあと、橋本(龍太郎元首相)さんと経済政策で対立しちゃったでしょ、そのころだったかなあ。第1期傘張り浪人。いまは第2期だけど。先生に絵の具の溶き方から、筆の使い方まで教わって。プロじゃないから、自分の気持ちをぶつけてるだけなのよ」
 いかつい風貌(ふうぼう)に似合わず、亀井さん、シャイである。好きな女の子に好きと言えず、モジモジしているみたいな。誤解されるタイプでもある。総裁選に挑戦しようとしては赤富士を、郵政国会に臨むに際しては吉野の桜を描いた。それぞれの含意はわかるけれど、ストレートに表現できないもどかしさ。小泉さんは思いのたけをてらいもなく口にする。で、2枚の絵はフロアの片隅にぽつん、と。
 「せっかくだから、ちょっと描いてみるか。そういえば、選挙が終わって、初めてなんだよなあ」
 そう言って、窓辺のキャンバスの前に立った亀井さん、よしっと気合いを入れるや、眼鏡を頭の上にちょこんとのっけて、眼光鋭くにらみつけるのだった。おや? よく見れば、キャンバスになにやら文字が。<こんど料亭よろしくです! アンガールズ><いい男ですよ! 阿川佐和子>。「ハハハ、落書きしていきやがってね」

 人気お笑いコンビと美人インタビュアーの来襲にまんざらでもなさそうである。記念にとっておけばいいのに亀井さんったら、二つのメッセージの上から、ザーッ、ザーッ、ザーッ。甘えを断ち切るかのごとく、一気にデッサンをはじめた。左手にはすっくとそびえる紅葉の木の写真があった。こんな短歌を詠んだんだけどなあ、と。

夏の陣戦い終えし我は今 枯野の奥に紅葉訪ねん


「この間の日曜日、富士山にある私の小屋に出かけてね。標高1100メートルぐらいかなあ。その小屋のそばに紅葉があってさ、なかなか立派で、心にぐっときた。こいつを描いてやろうと思って、パチパチ写真を撮ってきたのよ。あのね、紅葉って、枯れていく前の姿なんかじゃないんだ。あの赤くなった色はね、私の解釈じゃ、新芽をふく、春の準備をしているんだ。エネルギーをためている。いまの私の精神状態そのもの。もうひとつ、こんな連作もあるんだ」

秋空に錦織りなす紅葉の 冬を耐え抜く生命湛(たた)えん


思えば、郵政民営化法案に反対した亀井さん、広島名物もみじまんじゅうの縁はあっても、これほどしみじみ紅葉を見つめることになろうとは。まさかの解散、総選挙、広島6区に事実上の自民党の刺客として落下傘で舞い降りてきたのが時代の風雲児、ライブドアの堀江貴文社長だったから大騒ぎ。瀬戸内の小さな町は一躍、全国注視の選挙区になったのである。

美しき生まれ育ちしこの山河 故里(ふるさと)のため我は闘う


 「選挙区に帰る途中、飛行機から郷里の姿を見てね。むくむくと闘志がわきたって、この歌が浮かんだんだ。ホリエモン、ああ、どんどん出ればいい。かわいそうなのは、出るんなら、刺客なんかじゃなくて、純粋に無所属で出ればいい。そうでしょ。天皇制反対だなんて候補のために自民党の幹事長が応援に来るんだからね。いまの自民党がいかに荒廃しているかの象徴だ。どうして政策理念の違う人間を送らんといかんのか!」
 選挙中、台風に見舞われた。地元の庄原市比和で亀井さん、どしゃぶりの雨の中、傘も差さず、ずぶぬれのままマイクを握った。鬼気迫る形相、民家の軒先の聴衆に声を限りに訴え、それは感極まって泣いてるかのようだった。ドブ板選挙なんて久しぶりだったに違いない。その写真をお見せした。
 「おー、あったりまえよ。政治活動っていうのは選挙が基本なんだから。有権者のみなさんに自分の考えをひたすら訴えていく。そして一票一票をいただく。それしかない。忘れちゃだめだ。だいたい、初めて選挙に出た時なんて後援会もできなくて。会社の社長さんは敵、泡まつ候補だったんだ。でも、ホリエモンに負ける予感なんて、ぜーんぜん、しなかった」
 とはいえ、同志らは次々と落選する。自民党の党紀委員会が新党を結成した亀井さんら9人に下した処分は「除名」。容赦なかった。

修羅の世は悲しきことの多かるも 生き抜きいけば生命輝く


 「国民新党は、うまい飯を食いたいなんて連中をかき集めたりはしません。いま、大事なのは鮮烈な旗を掲げること。国民は迷っている。迷妄といっていい。メディアにも政治家にも責任があるけれど、少なくとも迷った責任は国民にある。その結果、ミゼラブルな生活を、精神的にも経済的にも送らなければいけなくなるかもしれん。でも、私はそうはさせたくない。だまされまくっている国民に対して、目を覚ませ! と言いたいんだ。必ず歴史は動くから」

夏の陣では死屍累々になってしまった
でも、見ていてください。揺り戻しがきます
日本は皆で幸せになる共生の国だった


 だんだんボルテージが上がってきた。アトリエで、そのやけどしそうなほど熱いアジテーションをたっぷり聞きながら、思い出した。若き亀井さんが心酔したという江戸時代の陽明学者、大塩平八郎のことを。大坂東町奉行所与力の大塩は、飢饉(ききん)の窮状に大阪で、<救民>の旗をひるがえして、挙兵に及んだ。大塩の乱である。彼の著「洗心洞箚記(せんしんどうさつき)」はいまもなお亀井さんの愛読書のはずであった。
 「よく読んだね。大塩は、知行合一の思想だろう。でも、反乱を起こしはするが、失敗し、自ら果てる。あとは西郷隆盛の『西郷南洲遺訓』なんかも読んだなあ。この地球、銀河系のほこりみたいな惑星に人類が生まれて、生々流転してきた。われわれの先人がどう生きたかを探っていかないと、自分の生き方の座標軸って生まれない。生きとし生けるものに愛情を持ち、その立場で発言し、行動する。同じ人間として。私がそうだとは言ってないよ。思いあがってないから。そうありたいんだ」
 なんだか時代がかっているけれど、生まれが中国山脈の寒村、貧しかった。高校まではマルクスボーイ、野間宏なんかを読みふけった。東大に入ってから思想傾向は変わるものの、水爆反対を叫んで退学処分になった全学連の学生をハンストの末、救ったりした。警察官僚になって、あさま山荘事件の犯人を取り調べ、極左運動に走る彼らは間違ってはいても、純粋に国を思っている。と感じた。チェ・ゲバラの信奉者でもある。
 「早稲田や慶応、東大でも講演したけどね。いつも言うんだ。なんだ、立て看ひとつ出てねえじゃねえか! 諸君は、社会に矛盾がないと思っているのか! 政治や経済の仕組みが、いいと思っているのか! 思っていないなら、行動しろ! あおっちゃったもんだから、あとで教授に怒られちゃってね。でも、完ぺきに批判精神を失っている。目先のうまいものを拾って歩くことしか考えてない。金を握ることしか考えてないんだ」

今の世は仮の姿と思えども なお憂きことにこの身ささげん


 「残念ながら、夏の陣では死屍累々(ししるいるい)になってしまった。でも、見ていてください。大きな揺り戻しがきます。日本はみなで幸せになる共生の国だった。それがいまや弱者は強者の繁栄のための道具です。そしてアメリカの軍事戦略の前線、基地の島になった。アメリカに政治、経済の生殺与奪の権限を掌握され、ひいては日本人の精神まで、その自立性すら失われようとしている。小泉チルドレン?
 あんなものほとんど消えてなくなります。これじゃいかんぞと思っている層がある。そう確信するのは、大塩、西郷が出た、この日本の歴史を信じているからです。」
 11月22日には亀井さんの愛した自民党の立党50年記念党大会がある。どこでどう過ごされます?
 「もう、私の去った党ですからね。でも、少しでもちゃんとまともな党に戻ってもらいたいとは思うなあ。党大会ですか? ここで絵でも描いてますよ。きっと」

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