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新聞・雑誌等での亀井静香の発言

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2006.1.27◎週刊朝日
夫婦の情景

週刊朝日にも言いたいことはある!

反小泉純一郎の急先鋒といえば、いつも夫の名が挙がる。その夫を地元・広島県庄原市で支える妻。すれ違いばかりの夫婦生活は、夫の“転職”から始まった。将来を嘱望される警察官僚だった夫が国政に打って出たのは、1979年のことだった。


 「女房は琴の師範。彼女の先生のご主人が(山口県)岩国で商工会議所の会長をしておられて、その縁で見合いをしたんです。たしか帝国ホテルの『なだ万』でソバを食べた。オレは横で、『よく食うなあ』と感心して見ていました」

 「第一印象は、かなり猫をかぶっていたはずなんですが……。気に入られたいということもなかったから、『自然体』でしっかりお食事もいただきました」

 「結婚してみると、これがけっこう気が強くてね。結婚して2年ぐらいですぐ選挙でしょ。それで後から『警察官の女房になると思っていたのに、だまされた、だまされた』と言うんですよ。
 あのとき私は、誰とも相談しなかった。官舎を出るとき、女房に『今日辞めるぞ。選挙に出る』と宣言して、その日に辞表を出した。それで雪深いふるさと、庄原に帰ったんです」

 「1週間くらい抵抗したんですが、聞かないんですよ。それなら、しょうがないと。とにかく選挙をしたことがないから、わからない。わからないからできたのかもしれませんね。12月、晦日ごろだったかしらね」

 「辞表出したのが11月半ばだったからね。当時、庄原は大雪で1日に1回往復していたバスも通らなくなっちゃってね」

 「バスといってもスクールバス。驚きましたよ。それまで冬に帰ったことがなかったですから。庄原の冬はとにかく厳しい。冬になると、いまでも外のほうが冷蔵庫より寒いんですよ」

 「そのころ、私は完璧な泡沫候補。中選挙区制の自民党候補の4人目でした。ほかに社会党、公明党、民社党の有力者もいるし、誰がどう考えても通らんと思われていた。それで私は朝5時過ぎに起きて、夜遅くまで一軒一軒、選挙区じゅうを歩いた。だって有力者はほとんど敵で、回る以外やりようがなかったですから。そんなとき、朝寒いから布団にくるまっていると、女房が布団をパーンッと剥ぎ取ってな、『お父さん起きなきゃイカンよ。何時だと思ってるの』。それでも寒い、寒いと丸まっていると、足で蹴飛ばすんですよ。『朝起きるのが嫌だったら、選挙なんてやりなさんな!』と怒られてね。私は『起きるよ、起きるよ』と目をこすりながら選挙区をかけずり回った」

 「最初は、『選挙に出るといっても地元には親父とお袋がいるから、ちょっと留守番をしてればいい』みたいな話だったんですよ。それが途中から、福山市のどこそこの団地を回れ、とか言われて。それで回ると、『亀井静香ってあなたが出るんですか』などと言われる。亀井静香は男性か女性か、というところから始まったんです」

 この選挙で夫は、「奇跡的」に最下位で当選を果たす。以来、地元はほとんど妻に任せきり。が、昨年9月の総選挙で、郵政民営化法案に反対した夫は、国民新党代表代行として久しぶりに地元・広島6区に入った。対する「刺客」は、堀江貴文ライブドア社長。妻とともに10回目の選挙を勝ち抜いた。

 「選挙は最初の3回くらい以降、ずっと私不在でやってきました。地元は、いまや女房のほうが長い。だからこの間の選挙でも、『ホリエモンなんかを刺客にするより、奥さんにすれば一発だったのに』なんて言われた。
 女房はいつも、『筋を通しなさい』と言う。だから、今回、新党をつくったときも『やりなさい。こんな自民党、お父さんダメよ』。どんな状況でもメソメソしないから助かりますね。偉くなってくださいとか、バッジを付けていてくださいというのもない。とにかく女房の言いつけどおりにやっていればいいんだから、楽ですよ (笑い)」

 「もうずっと庄原にいるので、私が地元生まれで、主人が養子になったみたいな感じです。普段、主人から相談なんてないですよ。すべて自分のしたいようにして、事後報告なんですから。新党立ち上げも、電話で『こういうことになったから』だけ。選挙区のみなさんには、『うちは打たれ強いから大丈夫ですよ』と言っているんですがね」

「バカヤローなNHK」


 「今回は、原点に戻る意味で徹底的に回った。新党をつくった以上、いちばん最初に私を応援してくれた方々とできるだけお会いして、私の気持ちを伝えたいと思ったんです」

 「みなさんが危機感を持ってくださいましたからね。選挙カーに乗っていても、『絶対に負けてはならない』という気持ちがすごかった」

 「しかしテレビの報道はひどい。開票当日、当確をぜんぜん出さない。オレとホリエモンの放送をおもしろくしたいからなんだよ。各社の出口調査でもけっこう差がついていたのに、オレが当確だとおもしろくなくなるからさ。テレビは、ホリエモンが通るんじゃないかという雰囲気をずーっと流すわけよ。NHKなんて、『うちに出てくれたら、その直後に当確打ちますから』とか言うんだから、バカヤローってんだよ (笑い)」

 「主人は『あの人にだけは、負けたくない』と言っていました。私もそう思いましたね。自民党なら誰でもいいのか、というのがあるじゃないですか。でも、結果を見ると、自民党支持の人がけっこうホリエモンに入れているんですよ。ちょっとがっかりしました」

 二人の間には3人の子どもがいる。新婚旅行は、富士山の目の前にある「ホテルマウント富士」。昨春、およそ30年ぶりに二人で訪れた。夫は「結婚記念日でもなんでもないけど、苦労かけたから……」と照れる。

 「彼は富士山が好きなんですよ。でも、なんの区切りでもないから、誘われたときも、あまりピンとこなかったですね (笑い)」

 「いやいや、オレも意外と優しいところがあるでしょ。新婚旅行のときは、新宿からバスで行ったなあ。女房は、そのときよりちょっとキレイになったかな (笑い)。結局、ウマが合うんでしょうね。いまは、政治的な盟友みたいになっちゃってるけどね」

 「普段の生活もほとんどバラバラ。主人は地元に帰っても、そのままとんぼ返りですから。  たまに家にいるときも何もしないし、言わないし。ご飯食べて、風呂入って、バタンキュウという感じです。会合でも、役所の方々が『亀井センセイは日頃もあんな方ですか?』と聞くんですよ、いつも怒鳴っているような印象なんでしょうね。だから『家ではおとなしいですよ』と言うと『へえ、そうなんですか』と不思議そうにしています」

 「食事を一緒にすることなんて、年に2、3回あるかないか。子どもとメシ食うのも年に数えるほど。一家団欒なんて、まずない。政治家の家族なんちゅうもんは、そんなもんですよ。  先日、地元婦人部の会で、こんな話をしたんです。『私は本当に女房のことを愛している。だから「お前には苦労かけているから、せめてセックスぐらいは家庭に持ち込まんよ」と言っているんですよ』。奥さん方はハァって顔で感心してましたよ (笑い)」

 「もう、そういう生活だと思っています。主人とは、いつも離れていてあまり会わないから、けんかまでもいかない。選挙のときに、仕事での意見の食い違いなどはありますけどね。いまは子どもともバラバラです。3人とも成人して、東京に出ていますから。私が東京に行くと、宿舎と子どもが住んでいるマンションを行き来して、掃除のおばさん状態ですよ。85歳を過ぎた私の母も、岩国から出てきて孫の世話を焼いてくれています」

 夫は、「剛腕政治家」のイメージがついて回る。それだけに、メディアでバッシングされたこともしばしば。イトマン事件では、許永中氏からの資金提供の有無をめぐって週刊誌などをにぎわした。

スクワット


 「政治家をやっていると、あることないこと、おもしろおかしく書かれるでしょ。週刊朝日にも以前、いまにも捕まるかのように書かれましたよ。そういうのは、つり広告や新聞広告に出る。オレは、ぜんぶ自分のことだから知っているけど、隣近所やいろんな方がそれを見てね、いろいろ言われるわけですよ。本当のことならしょうがないけど、ぜんぶ嘘っぱちだから。そういうことでね、家族にはつらい思いをさせています」

 「子どもが言ったことがあります。電車に乗っていて『ああ、お父さんが出てる』って。なんか悪く書かれるんですよねえ……。私、昔、太っていたんですよ。それで、食事制限とかして少しやせようと思った矢先に、また何か書かれる。そうすると、支持者のみなさんが見て『やっぱり、心痛でやせて……』と思われたらいけないと思って、またガーッと食べて元にもどす。一時期は、それの繰り返しでした。というわけで、主人には、体に気を付けて頑張ってくださいということだけですね (笑い)」

 「いま体脂肪率は14%。高橋尚子並みですよ。3キロのダンベルとスクワット100回、足上げ500回、つま先ピョンピョン500回。それをワンセットにして、朝晩やっている。酒飲んで帰ってもね、疲れててもね、やるんですよ。おかげさまで筋骨隆々。3年半ほど前に盲腸を手術してから一念発起したんです」

 「盲腸なのに私が付き添ったんですよ。すぐ『痛い、痛い』と言うから、「すみませんけど、痛み止めを』と言う役目。私も盲腸の手術をしたことはありますけど、一度も痛み止めはいらなかった。だから、何でこんなに……と (笑い)」

 夫の趣味は7年ほど前から始めた油絵。イメージとは裏腹な繊細なタッチで、作品はすでに60作を超えるという。方や、地元の会合や挨拶回りに忙殺されてきた妻にも最近、新たな趣味がーー。

 「島村(宣伸衆院議員)が女房に悪い癖をつけたんですよ。しょっちゅうオペラや音楽会の切符をくれてね、そういうことに興味覚えちゃって。島村には『お前がいらんことして女房の足が選挙区から遠のいたらどうするんだ』と文句を言っているんですが (笑い)」

 「あのセンセイはすごく文化的で、食通なんですよ」

 「だから最近、女房とはカルチャーの面で違和感が生まれてきているんですよ (笑い)。島村はおせっかいでね、ファッションの面でもいろいろとね。オレの背広まで『あんたはダサイ。これを着なさい』とつくってくれる。こう見えても、オレはメガネのベストドレッサーになったことがあるんですよ。あのときは、作家の渡辺淳一も一緒だった。でも、オレの前に加藤紘一がもらっていたからなあ (笑い)。うちの女房が変わっているのは、これを買ってというのがいっさいない。外国に行って、ハンドバックを買ってやろうかと思っても、『そんなもの買っても、身につけて行くところがない』と。そのへん、助かりますよ。選挙区の人は、気の毒がってますがね」

 「でも、買ってくれれば喜びますよ」

 「油絵は、いま富士と紅葉の絵を描いている。紅葉というのは枯れる前の姿だと思っていたんだけど、春に新芽が勢いよく飛び出すためのエネルギーをためているんだと知って、自分のいまの境遇と重なる部分を感じたね。でもね、この間、女房がルノワール展を見に行ってひどいことを言うんだよ。わざわざ電話をかけてきて、『お父さんのは絵じゃないってわかった』って……」

 「もう事務所の隅をとっちらかして描いているんで、後始末が大変なんですよ (笑い)」

構成 本紙・鈴木 毅

※無断転載を禁ず


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