活動実績

新聞・雑誌等での亀井静香の発言

戻る

2006.8.1◎ライフエンターテーメント発行
ファイブエル 2006年8月号
木村政雄編集長 Special Interview
いまこんな面白いことない

事務所には趣味で描く油絵が所狭しと置かれ、まるで画家のアトリエのよう
「こんなへたくそな絵を描いている」と言いながらも、うれしそう
インタビューは、少年時代から警察庁時代を経て初当選までの苦労談
そして話は早くも来年七月の参議院選へ
「見てなさいよ。参議院選後どうなるか……」自信たっぷりである

木村--お生まれは広島県庄原市ですね。子どもの頃からガキ大将だったんですか。

亀井--ガキ大将というほどでもないけど、結構、好き勝手なことをしてました。

木村--それで東京へ来られるんですね。

亀井--高校は「修道高校」という進学校だったんだけど、高校二年の時に放校処分になっちゃったんだよ。

木村--何か事件を起こされたんですか?

亀井--事件じゃない。定期を買うための通学証明書の発行を有料化すると通告されたわけ。それで亀井少年、怒ったわけよ。授業料を払っているんだから「金取るとは何事だ」というので、下手な字でガリ版刷りのビラをつくって校門で撒いたのよ。そうしたら大騒ぎになって……、担任の先生が「放校処分になったら傷がつくから、自分でやめたほうがいいんじゃないか」と。そんな学校に未練はありませんからね。それで東京へ来たんです。
 修道高校では、ぜんぜん勉強しなかったから、東京に来て、日比谷高校なんか五つぐらいの試験を受けたけど、問題を見てもぜんぜんわからなくて名前しか書けなかった。最後に、都立大泉高校。ここは校長面接があった。「亀井君、名前しか書いてないじゃないか。どうする?」というから、「もう受けるところがありません」と言ったら、「心を入れ替えて勉強するか!」って言うから、「はーい、しまーす!」(笑)。それで入れてもろうたんよ。

木村--高校時代はどうでしたか。

亀井--あそこは男女共学なんだよ。転校してきたものだから、先生、面白がって当てるけど、ぜんぜん答えられんわけ。しかも広島弁でね。女の子はみんなキャッキャッ笑いまくるわけよ。密かに「いい子だなあ」と思っている女の子まで笑うから、痛く傷つけられてね。
 それで中学三年の本を買ってきて勉強し直したんだよ。だって、内申書開けてみたらな、360名中、330番くらい。本当に私は落ちこぼれだったのよ。それで勉強し直したんだけど、まあ、勉強なんてちょっとすればね、なんていうことはない。

木村--そうですかね、そんな簡単には東大へは入れないと思いますけどね。

亀井--運輸大臣になったとき、これは大泉高校の校長先生のおかげと思って、練馬まで訪ねていって、もうお亡くなりになっていたけど、仏壇に線香上げてきました。本当、私ってついてんだよ。そういう人に最後に巡り合ったからね。

私が警察を建て直す


木村--東大を出て、すぐに警察官になろうとは思われなかったんですか。

亀井--ぜんぜん。兄貴は法学部へ行ったから、後を行くのはいやだと思って経済学部を受けた。だから最初は別府化学工業という大阪にある会社に行ったんですよ。これは本当に大事にしてくれて、ものすごい居心地よかったんだけど、私は血の気が多いんだよ。
 当時、60年安保だろう。国会に乱入されたりして、警察官が弱くてしようがない。「これはいかん。私が警察を建て直す」と。私は大体思い上がっているからな。
 それで一年で辞めて東京へ帰ってきた。東大時代、私は合気道部だったから、合気道部の道場の七徳堂にもぐり込んだ。最初、失業保険で飯食ってやろうと虫のいいことを考えていた。ところが当時の職安はしっかりしていて、四月に一回だけもらって、五月に行ったらさ、「だめだ、就職の意思がない」、見破られちゃった(笑)。
 それで割のいい徹夜のアルバイトをやって、朝帰ってきて、道場で稽古が始まる前にちょっと仮眠して、それで図書館に行く。それを四、五、六の三ヶ月ぐらいやったな、七月の試験だったから。経済学部だから、刑法も刑事訴訟法も憲法も何も読んだことねえんだよ。これも本屋から買ってきて、自分で読破した。
 当時、試験は警察上級と国家公務員上級と二つ分かれてたんだ。小手調べに、最初にあった国家公務員上級試験を受けたんだよ。そうしたら、三番で入ってた。

木村--それはすごいですよね。

亀井--それで、各省からスカウトに来るわけですよ。だいぶ口説かれたんだよ。だけど、警察へ行こうと。
 そうしておったら恐いことが起きちゃったんだよ。朝、七徳堂に帰ってきて洗面器で顔洗っていたら、洗面器がまっ赤に。血がばあーっと、もう気が遠くなるほど。私は高校二年のときにちょっと肺浸潤やっているからな、徹夜のバイトばっかりやっていたから「無理やったかな」と。しようがないから東大病院へ行ったら、「なんでもない」と言われた。もう本当に天にも昇るような気持ちでおった。
 そしたらまた東大病院から電話があって、「もう一度来てくれ」。今度は「あんたはガンだ」。ひどい話でねえ。あのときばっかしはもう目の前が真っ暗。やけになって歌舞伎町で飲めねえ酒を一週間ぐらい飲んでたな。それで、いろいろ検査したら「なんともない」。それ以来、健康診断は一切受けないことにした(笑)。

社会のごみを出さないように

木村--警察から政治の世界に飛び込まれたじゃないですか。これはどういうことだったんですか。

亀井--簡単、私の動機は本当に簡単。71年当時は、非常事態だった。連合赤軍、極左の連中が爆弾はやるわさ、テロ、ゲリラでしょう。でも警察は内部で喧嘩ばっかりしているわけ。「これじゃ事件の解決ができない」というので、重要事件は警察庁が直接指揮をすることにして、私が一元的に指揮したんです。そういうなかで最初手がけたのが成田空港事件で、それから、あさま山荘事件、テルアビブ空港事件、ツリー爆弾とか……そういう事件をずうっと追っかけ回していて、「警察というのは所詮、社会のごみ掃除だ。社会のごみを出さんようにするにはやはり政治をちゃんとするしかない」と。わりと短絡的なんだ。

木村--いや、短絡的というより志ですよね。

亀井--志だけど、非常に短絡的な志なんだね。
 77年の11月ですよ、家出るときに、これもひどい話で、女房に「おー、きょう警察辞めるよ」と言ったの。それで女房は後になって、「だまされた。警察官の女房だったのに」って言うんだけど、「おまえ、出掛けに言ったじゃないか。誰かが止めてくれると思った」(笑)。
 私はそうやってぱっと辞めた。警察庁は大騒ぎになったんだけど。
 それで、衆議院議員選挙に打って出ることを決意したんだけど、当時は中選挙区でしょう。地元の選挙区は宮沢喜一先生をはじめ有力者がいっぱいで、どう考えたって当選できる可能性というのはゼロ以下ですよ。だけど、私がよく調査したら、後継者の問題やら、人間関係がうまくいっていないとかあって、それで「出る」という判断をした、「いける」と。
 でも実際はどうにもならんかった。どこに行っても後援会なんかできやせん。ある会社に行ったら、おやじが丼に塩を山盛りにして持ってきて、私にばさーっとかけやがるんだよな。それぐらい地元でやられたんです。ところがいろんな不思議なことが起きちゃって、当選するんだな。

木村--それ以来、ずうっと当選なさって、落選はないんですか。

亀井--ないよ、一度もない。だから僕には奇跡が三段跳びでぼんぼんぼんとね。だけど私は行く先、行く先、いまでもそうだけど、本当に恵まれている。
 こんどだってそうだよ。私も27年目に入っているけど、いまほど政治家になってよかったと思うことないよ。

木村--最後に志を曲げて自民党に残られた方もいたわけじゃないですか。あえてそこから袂を分かたれたというのは、すごい決断だったと思うんですけど、そのへんに悔いはないですか。

亀井--決断というよりもね、当たり前のことなんだ。そうでしょう、「参議院で否決されたから、衆議院を解散する」という子どもが考えてもおかしなことだし、しかも外交、防衛、教育、経済政策……、いろんなことがあるなかで、郵便局をなくすというあの法案だけに反対したからといって、仲間のバッジをもぎ取るために解散しちゃったでしょう。それでも出てくるやつには刺客を送っちゃう。日本人の従来の感性なら拒否しますよ。だからそれに徹底的に反対をするのは、もう当たり前の話なんだな。

木村--いままでの生き方をお聞きしていると、いまがいちばん元気が出るときですね。

亀井--ああ、いまこんな面白いことない。見てみなさいよ。来年七月の参議院選挙後どうなるか。全国比例と東京、千葉、大阪、神奈川で議席を取って、現職と合わせて10名程度確保する。
 参議院で反対されたら法案が通らんでしょう。ポイントは参議院で多数派が形成できる政権でないともたんということ。そうすると連立で綿貫総理が生まれる可能性はきわめて高い。「自社さ政権」をつくった私が言うと「なるほど」という人が最近増えてきた。

木村--いよいよ出番ですね。亀井副総理ですか。

亀井--いえいえ、私にはそんな野望はないけどね。


〈後記〉
 亀井さんに初めてお会いしたのは五年ほど前、前職の頃。かねてよりその希有なキャラクターに注目していたこともあって、マネジメントを申し出た私に返ってきた言葉が、「歌手でなら!」。おかげで延々と美声(?)を聞く羽目に……。立ち直るのに数日間かかってしまった苦い記憶がある。一時元気がないかに見えた顔にも生気が溢れ、本来のチャーミングな亀井さんに戻っていた。これからの活躍、期待するところ大である。帰りぎわ、自作の画を背に、「この画、一億の値がついたんだよ」。こっそり失敬すればよかったかな。(木村)

※無断転載を禁ず


戻る

TOPに戻る

バックナンバー