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新聞・雑誌等での亀井静香の発言

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2007.1.23◎経済界
森田実の永田町風速計
亀井静香・国民新党代表が語る“2007年政局展望”--
2007年7月の参院選で大変化を起こす

政治は科学ではなく術である

(ビスマルク)


「政治というのは、多くの教授先生が思っているような科学なのではなくて、まさにひとつの術なのだ。彫刻したり絵を描いたりするのが科学ではないのと同じことだ」--1884年3月のドイツ帝国議会でビスマルクが述べた言葉である。
 旧西ドイツ首相のシュミットは自分自身のことを「私は楽観主義でも悲観主義でもない。道徳的なものに価値を置く一人の現実主義者だ」と語った(2006年12月5日付朝日新聞)。
 ビスマルクとシュミット、19世紀と20世紀ドイツの代表的政治家だ。
 ビスマルク、シュミットのような政治家が今日の日本にいるだろうか。少なくとも一人だけはいる。亀井静香国民新党代表代行である。05年7月の国会本会議で郵政民営化法案に反対した議員のうち、無所属で当選し自民党への復党を望み実現した11議員に対する国民の目は厳しい。信念と誇りを捨てて土下座した政治家には未来はない。
 これらの転向者と対極の立場を取り、断固として自己の信念を貫いている誇り高き政治家がいる。国民新党の綿貫民輔代表、亀井静香代表代行、亀井郁夫副代表、亀井久興幹事長、長谷川憲正副幹事長らの非転向の“初志貫徹派”である。
 今、亀井静香氏は国民新党の先頭に立って党を引っ張り、全国遊説を展開している。亀井静香氏は、07年夏の参院選で与野党逆転を実現するため、超人的な努力を続けている。
 昨年12月11日夜、私は、鹿児島市で亀井静香氏と会った。以下はその時のインタビュー記録である。

自公連立政権は落城寸前

 --2007年に政治の大転換を目指す亀井さんの戦略は?
 亀井 現在のわが国の状況は、約400年前の1615(元和元)年の「大阪夏の陣」前夜に似ている。豊臣方は浪人をかき集めて、攻めてくる徳川方に対抗しようとしたが、結局は敗北し、滅亡した。
 安倍自公連立政権は、豊臣と同じく政治的浪人を自陣営に引き入れたが、しかし、こんな姑息な手段によって頭数を増やしたところで、・自公連立政権衰亡・という時代の大きな流れを止めることは不可能だ。
 ブッシュ大統領の政治は、昨年11月7日の米国中間選挙において米国民によって否定された。力による米国流政治システムの押し付けは失敗した。米国流グローバリズムの力ずくの押し付けも破綻しつつある。ブッシュ政権の下僕となった小泉前内閣の内外政策は失敗した。安倍首相にはブッシュ・小泉政治と訣別し克服する勇気も力もない。
 05年9月の衆院総選挙で小泉首相によって石もて追われ刺客まで送られた政治家が、身勝手に自民党に復党するというのは、郵政民営化反対の主張を支持して投票した有権者に対する裏切り行為だ。大義名分なきエゴであり、選挙民無視の思い上がりだ。民主政治においては、このような有権者無視の行為は許されてはならない。これこそ、政治家のモラルハザードと言わねばならない。
 07年夏の決戦を前にして、自公連立政権は一人でも多くの浪人をかき集めているが、そんなことでは退勢は止められない。自公連立政権の根が腐り切っているからだ。
 07年夏に大転換が起こる。小泉劇場に酔いしれて自らの生活を忘れ、政治を真面目に考えず、ただファッション的興味で生きている国民ばかりではない。自らの過ちを悟り、目を覚ます国民は増えている。堕落した自公連立政権に代わって国民新党・民主党・社民党の野党共闘が政局の主導権を握る時代は07年夏に到来する。日本民族の復元力を私は信ずる。

3野党協力で与野党逆転

 国民新党は民主・社民との3野党協力に能う限り努力する。
 国民新党としては選挙区で7〜8人、比例区で10人強の候補者を立て、わが国の将来を真剣に憂い、自らの生活を真面目に考えている国民の支持を得て、10%得票と10程度の議席を目標に戦う。これは可能だ。
 野党選挙協力が成功するか否かは、民主党における小沢一郎代表のリーダーシップに懸かっている。民主党内には小沢代表に向かって後ろから鉄砲を撃つ勢力がいる。小沢代表には、泣いて馬謖を斬った諸葛孔明の勇気を持って党内を整備して民主党の団結を固め、野党共闘を実現していただきたいと願う。
 国民新党は、最近、草の根レベルの街頭宣伝活動を全国で始めたが、国民、特に若い人と女性層の反応が非常にいい。国民は国民新党の政策を理解し始めている。われわれが2007年政局の台風の目になって、政権交代を実現する。

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