活動実績

新聞・雑誌等での亀井静香の発言

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2007.5.11◎毎日新聞
特集ワイド
国民新党代表代行 亀井静香さんのわが母

男はマザコン おれだってさ
喜ばせたくて発奮


 国民新党のテーマソングが川内康範さん作詞・作曲の「おかあさん」に決まったらしい。歌うは代表代行の亀井静香さん(70)。なんでまた? 母の日(13日)を控えて、永田町から誕生したビッグな新人歌手に思いのたけを語ってもらった、わが母のこと--。

【鈴木琢磨】


 「いやあ、照れくさいよ。お袋についてしゃべるなんて」
 あちこちに油絵の作品が並ぶ東京・四谷の個人事務所兼アトリエに現れた亀井さん、ソファに座るなり、頭をかいた。わからないでもない。でも、党の命運をかけた夏の参院選を「おかあさん」なる歌をひっさげて戦おうっていうんだから、闘将!
 逃げてもらっちゃ困る。「ハイ、ハイ。うーん、男はマザコンなんだよ、おれだってさ」
 いきなり結論めいたことをぽろり。そして、目を閉じ、はたまた遠くを見つめ、思い出をたぐり寄せた。「あのね、国会議員なんかしているから田舎の大富豪のぼんぼんじゃないかって思われがちだけど、うちは山奥の4反3畝の土地しかない、財産は村の下から数えたほうが早いくらいだったんだ。ちっちゃい村ですよ。人口1000人そこそこ。ただ、おやじは20代から助役をやっていてね。ま、愛国一家でさ。だって本土決戦に備えて本当に竹やりを置いてたくらいですよ。わずか30俵ばかりとれる米、それも率先して供出したりね。敗戦で、責任をとって助役をやめるんだけど」
 その寒村は広島県比婆郡山内北村(現庄原市川北町)、亀井さんは4人兄弟の末っ子に生まれた。姉2人、兄1人(衆院議員の亀井郁夫さん)。祖先は戦国・室町時代の大名の筆頭家老という名門だったが、幕末に没落、家柄でメシが食えるわけではなかった。「さつまいもとかね、いものつるも食ったよ。おやじは正義感が強くて、戦後は引き揚げ者の世話をして、開拓事業に打ち込んだんだ。無給でね。野良仕事はすべてお袋、よくケンカしてたよ。うちも貧乏なのにって。夜なべして、炭俵を編んだり、つりしのぶっていって、炭に草なんかを差して軒先にぶらさげるのがあってね。涼しそうに見えるんだな。それをつくって、背(せな)かごに入れ、山を越え、行商していた。寝ている姿を見たことがない、本当に」
 ここまでくると、さすがに目はうるんだ。そういえば、先の衆院選での刺客、ホリエモンとの対決、あれは郵政民営化うんぬんではなく、「カネ」をめぐる感性の対決だったのかもしれない。そんな思いを深くする。

 貧しかったとはいえ、亀井さん、成績はよかった。広島市にある私立進学校、修道学園に入った。「上の3人は村から出て進学していたから経済的に続かない、静香は村の公立に、とおやじは音をあげたんだけど、お袋はもっと働くから静香も出してやってって頼んでくれて。それが親の心子知らず、勉強しなくてだんだん成績落ちてさ。あげくに学校にたてついて退校してしまうしさ。でも、一度もしかられた記憶がないんだよ」
 出来の悪い子ほどかわいいと申します、と言いかけて、のみ込んだ。そう、亀井さん、のちに発奮し、兄に続いて、東大に合格する。「ハハハ、簡単な理由よ、極めて。偉くなってやろうとか、カネもうけしてやろうとか、全然なし。お袋が喜ぶじゃろうな、それだけよ。眠くなると5分寝て、また勉強だったね。お袋?ああ、ほっとしたみたいだ」。セピア色した両親とのスナップ写真がある。バックは安田講堂、その真ん中に小さな母がいる。「野菜やつるし柿なんか送ってくれたよ。仕送りはなし、おれはキャバレーのボーイのアルバイトをしたりね。顔がこれだから、ホールに出してもらえなかったけどさ」

 たしかホリエモンも東大だったな、なんて思い浮かべたりしていると、ダミ声の歌がー。

 ♪おなか こわすな 風邪ひくな 雨が降る日は かさになり 雪が降る日は ぬくもりを あたえてくれた おかあさん


 なんだか場末のスナックにいるような具合である。秘書が録音したてのCDを流してくれたのだった。「どう? なかなかでしょ」。一瞬、答えに詰まって「はあー」。これがうわさの「おかあさん」か。しばし亀井静香の世界にひたらせていただく。「この歌は国民新党の心と同じでね。この国から優しさがなくなってしまったでしょ。人に優しい、幸せを贈る政治をしなくちゃいかん。川内康範先生に面会して、党のテーマソングにしたい、とお願いしたら快諾を得ましてね。わざわざスタジオで歌唱指導までしてもらったけど、夜8時から2時間たっぷりしぼられましたよ。怒鳴るんじゃないってね。で、とうとう、まあ、これが限界じゃと」
 例の森進一さんの「おふくろさん」騒動に便乗したわけではない。もともと亀井さんの持ち歌が1972年に小宮恵子さんの歌で発売されたこの「おかあさん」と、北島三郎さんの「兄弟仁義」の2曲だったから。折に触れ、歌ってきた。それを党のイメージをダブらせる歌にまでしようと思い立たせたひとつにこんな感動エピソードがあった。統一地方選のさなか、広島の実家の近くに住む母の知り合い、94歳になるおじいさんから亀井さんの運転手さんに封筒が託された。こう書かれていた。

 谷間の美田草原に
 時の流のかなしけり
 美しい国とは昔のことば
 国の未来が思いやられる


 「どうです、この文、衝撃を受けましてね。なかに現金15万円入っていた。ズバリ、言われちゃったなあ。政治家のおれがやったことはさ、クルマがやっと1台通れるほどの道を広い道にした、それだけのことなんだよ! 生活は変わってないんです。そのことをね、痛いなあ……。地方は大変なんだよ、おれは足元を見てなかった……」
 歌を詠んだ。<亡き母の友から受けし浄財に ふる里は今消えたりと云(い)う>。その母静枝さんは01年に89歳で他界した。危篤の知らせは入っていたものの、亀井さん、律儀にも大阪での応援演説をこなしてから駆けつけた。間に合わなかった。「政治の世界はいろいろあるんでね」。その世界で、小なりといえど、参院選後のキャスチングボートを握ろうとしているようである。その決意からか、歌詞カードも持たず、すっくと立ち上がり、アカペラで絶唱した。

 ♪他人(ひと)の幸せ うらやむな 他人に幸せ あげるよな 心に花が 咲くのだと おしえてくれた おかあさん おしえてくれた おかあさん……

(JASRAC 出0706175-701)

 財産は村の下から数えた方が早かった
 おやじは無給で引き揚げ者の世話
 野良仕事はすべてお袋、行商もして
 寝ている姿を見たことがなかった

※無断転載を禁ず


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