夕刊フジ連載

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亀井静香のこれから勝負だ!
【13】若者よ挫折の中にこそ跳躍台がある
2003.04.03

不況下生き抜け

 4月を迎えて東京の桜も満開となった。さわやかな春風がそよぐオフィス街を車で走ると、真新しいスーツに身を包んだ新入社員らしい若者たちとすれ違う。実に初々しい。ただ、これだけ厳しいデフレ不況下だけに、希望通りの就職をできなかった人も多々いることだろう。
 人生の先輩として彼らにアドバイスできるとすれば、「挫折を恐れるな!挫折の中にこそ、飛躍の跳躍台がある」ということだ。
 私は昭和11年、広島県比婆郡山内北村(現・庄原市)で一、二番という貧しい家で生まれた。ただ、教育熱心な父母は昼も夜も休みなく働き、兄と私を大学まで行かせてくれた。上京したが当然仕送りはなく、家庭教師や銀座のキャバレーのボーイ、五反田にあった東映現像所の警備員のアルバイトをして何とか自活していた。
 大学四年生の時、就職しようと思ったが、勉強しないでアルバイトと合気道に明け暮れ、人間的評価も一般学生より劣っていたため、一次試験を受けた大企業八社は全部不合格。二次試験が残っていた会社にやっと入社した。人生の出発で思うように行かなかった。
 そのころ、60年安保闘争が激化しており、何十万人というデモ隊が国会を取り巻くテレビ報道を見て、私は「これでは日本は滅びる。治安を守る仕事をしよう」と決意した。辞職して猛勉強を始めたところ、突然、大量の血を吐いてガンの宣告を受けた。目の前が真っ暗になったが、二週間後に誤診と分かった。
 警察庁を辞めて政治家を志したときも、地盤(後援会)も看板(知名度)もカバン(資金)もない戦いに、上司や友人は大反対した。退職金350万円を握りしめ、自分でポスターを張って回った。演説会に一人しか来ないこともあり、「落選必至」といわれたが、奇跡的に初陣を勝利で飾ることができた。
 私の人生は、何度も目の前に断崖絶壁が立ちはだかった。鉄道自殺を二度ほど考えたこともあった。だが、意志を貫いてひた向きに生きていると、断崖絶壁がパッと壊れてくれた。辛い時に耐え忍んでいると、新しい展開が見えてきた。
 今は苦汁をなめている若い人たちも、「いつか必ず晴れの日は来る」と信じて頑張ってほしい。また、自分一人で生きているのではなく、いろいろな考え方を持つ人々の中で生き、生かされていることを意識することも重要だ。
 そして、いま自分が生きているのは、両親や祖父母をはじめとする先人たちの努力や苦労の積み重ねのおかげだと感謝するとともに、歴史に関心を持つべきだろう。過去をたどり人間の歩みを学ぶ努力をすれば、将来に対して「自分がいま何をすべきか」がハッキリと見えてくるものだ。

※無断転載を禁ず

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