夕刊フジ連載
駆け抜ける桜
冬が去ると待ち構えたように爛漫(らんまん)と咲き誇り、一夜の嵐で散る桜は日本人の心を映す万華鏡のように列島を駆け抜けていく。靖国の庭はソメイヨシノが散り、故新井将敬代議士の霊前にささげた宣長の「山桜」が咲き始めた。中宮の慕情をあらわすような「八重桜」、エゾの桜「静香」も間もなく開花するだろう。
妻子を捨て、放浪の末に望み通り、望月のころ、桜の下で果てた西行法師や、本能寺の炎の中で「人生五十年…」と詠いながら自決した信長も、花霞の中に重なり合って見えてくる。
民の惨状に身を散らした大塩平八郎、中央権力の横暴に抗した西郷南洲、自ら命を絶って、英霊とその遺族に謝せんとした特攻の父、大西中将。
敷島の大和心
彼らは間違いなく
「敷島の大和心を人問はば 朝日ににほふ山桜花」
であるに違いない。
社会、経済の荒廃の中で苦しんでいる人たちをアメリカ流の強者の論理で見過ごしているわれわれを、後世の人たちは何にたとえるのだろうか。
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