夕刊フジ連載

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亀井静香のこれから勝負だ!
【18】親子関係の荒廃、社会の歪み反映
2003.05.08

母の背に学んだ

 GWは終わったが、日本経済の危機的状況は目を覆うばかりだ。小泉政権の発足当時1万4500円あった東証の日経平均株価は、昨六日に1カ月ぶりに8000円台に戻したものの、政権発足から2年でほぼ半減したことになる。
 この連載でも何度も指摘してきたが、小泉政権が未曾有の不況を放置して、企業の倒産を促進し、ハゲタカ外資が日本を買い漁るような、国益を損なう政策・を続けている以上、この惨状は絶対に変わらない。
 加えて、日本人の精神的荒廃も著しい。
 わずかな金銭目当てで簡単に人をあやめる事件が多発している。特に、母親と子、父親と子といった親子間での残忍極まる犯罪を見聞きすると、日本社会で起きている、恐ろしいまでの親子の断絶を感じてしまう。
 ちょうど、次の日曜日(11日)が母の日でもあるので、私の母の思い出について語ってみたい。
 母は私にとって「すべてを自分に注ぎ込んでくれた存在」だった。16歳で亀井家に嫁ぎ、姑からヒドイ仕打ちを受けても家を去らずにジッと耐え続けていた。私が悪いことをして親父や先生に殴られても、悲惨な点数の通信簿を持って帰っても決して怒りはしなかった。
 村で一、二番という貧しい家だったが、母が「どんな苦労をしてもいい、静香を進学校に行かせてほしい」といい、節くれた手で毎晩遅くまで炭俵編みをしてくれたおかげで、私は広島市内の進学校に進むことができた。
 母は「偉くなれ」とか「金持ちになれ」とは一切言わなかったが、自分を無にして子供たちのために尽くす生き方は、私にとって「自分のためではなく、他のために生きよ」という無言の教えになった。菩薩のような女性だった。
 一昨年、母が他界したとき、私は「母は、この世を去りました。しかし、母の人生の総括は終わっていない。私のこれからの生きざまで決まる」とあいさつした。いまでも母は私の中で生きていると実感している。
 私の母の思い出が普遍性を持つとは思わないが、すべてを包み込む空気のような「母親」という存在が、いまの日本で大きく変わりつつある現状は看過できない。経済的豊かさや生活の利便性が、親子の絆を引きはがす遠心力として働いているとすれば「われわれに未来はない」ということにならないか?
 その時代の社会の持つ精神状態が、美しい親子関係を作り上げたり、あるいは逆の形を生み出していく面は強い。ならば、よりよい社会を作り出すため、広い意味での政治や教育のあり方を見直さなければならない。日本古来の「共生の思想」が生き生きと輝くときこそ、親子関係も正常な姿になるのかもしれない。

※無断転載を禁ず

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