夕刊フジ連載
どうして、こんな理不尽な事件が続くのか。
今週月曜日(14日)、大阪府寝屋川市の市立小学校に17歳の同校卒業生が包丁を持って侵入し、男性教諭1人を刺し殺し、女性の教諭と栄養士の2人も刺して重傷を負わせる事件が発生した。
ちょうど10日前の4日には、愛知県安城市のイトーヨーカドー安城店で、住所不定の無職、氏家克直容疑者(34)が包丁を持って暴れる事件があり、包丁で頭を刺された生後11カ月の男児が死亡したばかりだった。
マスコミに登場する識者からは「もっと監視を強化すべきだ」「警報装置に不備があったのでは」といった意見が聞かれるが、私にはそんなことですべてが解決するとは思えない。
これらの根底には、日本人の心の問題がある。事件だけでなく、政治や経済といった分野でも、弱い者に刃が向けられ、弱い者にツケが押し付けられていく、日本社会の背筋が寒くなるような現状がある。
これまでの日本人は「他人を思いやり、いたわり合う」という矜持(きょうじ)を持ち、どんな家庭に生まれても努力次第で認められるよう、能力があってやる気の人々を切り捨てないような社会を築き上げてきた。
共存や連帯捨て
ところが、グローバリゼーションの名の下、米国式の個人主義や自由主義、競争原理が間違った形で受け入れられてしまったことで、日本人が古くから持っていた「共生」「連帯」といった感覚が、国家や地域社会、家庭、友人関係などから急速に失われている。
国までが後押し
一部の大企業は膨大な利益を上げているが、その陰には数千人単位の激しいリストラがあり、本来、下請けや孫請けの中小零細企業が得るべき利益まで吸い上げている企業もある
そして、これを国が後押しするようなムードまである。
どこかのIT企業ではないが、「自分さえ良ければ他人はどうなってもいい」「金がすべて。人の心も金で買える」といった、極めて自分本位の風潮が広がり、精神構造のゆがんだ末期的な社会が出現しつつあるように思える。
こうした社会の中では、理不尽な凶悪犯罪に走る者がいる一方、人生に夢も希望も持つことができず集団自殺に走る者もいる。
私はこれまで「日本人の魂が漂流し始めている」と警鐘を鳴らしてきたが、残された時間は極めて少ない。わが国は本当に重大な岐路に立たされている。
※無断転載を禁ず