夕刊フジ連載
卒業シーズン
今卒業式のシーズンだ。日本はいま構造改革という名の下で、経済収縮が起こり企業はリストラを推し進めている。こうしたシワ寄せは若い世代が被ることになる。総務省が1日に発表した1月の完全失業率(季節調整値)は4.5%だったが、若い世代では2倍近い高い失業率だった。
きっと、大学や高校を卒業するにあたって、希望していた職業に就けなかった者もいるだろうが、決して絶望することはない。
希望の職就けなくても絶望するな
私自身、大学四年生の時、就職しようと思って試験を受けたが、わがままな性格のためか一次試験を受けた大企業5社は全部不合格だった。それでも縁合って就職した会社では、極めて快適かつ有意義に社会人としての第一歩を踏み出すことができた。
その後、「治安を守る仕事をしたい」と警察官に転職し、さらに、「国を何とかしなければ」と政治家に転身したが、そうした人生を通じて感じたのは、「人はパンのみにて生くるにあらず」ということだ。
働くというのは、ただ生活の糧を稼ぐのでなく、自分なりに社会とかかわりを持ち、少しでも人々の幸せに貢献すること。長い人生で自分の心が満足できるよう、目の前の一瞬一瞬を大切にしていくこと。
そして、人間は決して1人で生きているのではなく、両親や祖父母、地域の人々など、多くの先人たちの努力や苦労の積み重ねによって、生かされていることを意識することも重要だ。
新しい道開ける
現時点で就きたい仕事に就けなくても長く悩むことはない。神様やご先祖様が「お前はやらない方がいい」「いまはやめた方がいい」と導いてくれたと考え、気分を切りかえればいい。
前向きな気持ちを失わず、ひた向きに生きていけば、断崖(だんがい)絶壁がパッと崩れるように新しい道が開けてくる。失敗のない人生などあり得ない。成功した経済人ほど、若いころ大きな挫折を味わっている。
挫折の中にこそ、飛躍の跳躍台があることを知るべきだろう。
社会的責任薄れ
こうした意識はベンチャー企業だけではない。三菱ふそうトラック・バスによる相次ぐリコール隠しや、三井物産が虚偽データを使って適合指定を受けたディーゼル車の排気ガス浄化装置(DPF)を販売していた問題など、まさに企業の社会的責任を忘れた典型的事例といえよう。
経済的にモラルハザードが吹き荒れている。この際、日本経団連や経済同好会は、あるべき経営者の理念について議論すべきではないか。
※無断転載を禁ず