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あまねく人々が心豊かに暮らせる国を

 先日、選挙以来久方ぶりに富士山の麓でゴルフを致しました。10月に入ってもまるで梅雨時のような長雨続きで久しく青空を見ることが出来ませんでしたが、当日は青々と澄んだ空に綿菓子のような雲が広がり清々しい秋晴れでした。スコアの方は久しぶりの為か、お恥ずかしいものでしたが、この晴れやかな空に心が洗われる思いでした。
 頂きに雪の薄化粧をした富士は殊の外美しく、所々赤く色づいた紅葉を目にしながら日本人に生まれて良かったとの思いを致しながら、この美しい景色、美しい日本を子孫に伝えることが、今生きている我々の最大の務めであるとあらためて考えさせられた瞬間でもありました。
 先頃、小泉総理が新人議員の研修で「造反は倒閣運動。政治家の資質は洞察力。本質を見抜けずついていった人は可哀想」「今日の友は明日の敵。戦国時代じゃなくても人間の社会。わきまえながら友情を育むことが大切云々」と云われたそうであるが、どのような意味か定かではないが、少なくとも、常に隣人が敵になりうると云うことを前提にして足下をすくわれないよう立ち回らなければ敗北者になるというような意味で仰ったのであれば非常に残念であります。
 確かに理想のみで国は成り立たないが、我々政治家は全ての国民が平和で心豊かに暮らせる国家を目指して理念を掲げるべきであると考えます。信頼関係を築ける社会を範としないで、現在の友が敵になりうると云うことを前提にした社会基準を一国の指導者である総理が認め、口に出す等言語道断であると思わずにはいられません。
 私は解散総選挙はするべきでない、憲政の常道から云っても常識では解散は有り得なかった筈であると考えております。また例え解散確定と判ったからと云って、己の信念に反することは出来ません。この度の郵政民営化法案が日本の国益に添っていない、明らかにアメリカからの要求で拙速に運んだ欠陥法案であることは間違いありません。
 幕末の吉田松陰の生死をかけて決起した「かくすればかくなるものと知りながら、止むに止まれぬ大和魂」「身は例ひ武蔵野の野辺に朽ちるとも 留置かまし大和魂」には遠く及ばず、命まで取られることのない現代に於いてはむしろ信念を貫くことは当たり前のことであります。祖先を敬い親兄弟を慈しむ、友人知人と信頼関係を築き共に助け合う、当たり前の我が国の道徳習慣を否定して国家を担うべき人材の育成など出来る筈がないと考えております。
 夏の輝きから徐々に秋が深まりつつある中、あたかもこれから冬を越えて春へのエネルギーを溜める為の狼煙の如く赤く染まっていく紅葉を眺めながら、私は共生の思想を育んできた日本の美風を守り、「強者だけでなくあまねく人が恩恵を受け、心豊かに暮らせる人間中心の社会」を構築する為、今ひと度政治家としての原点に立ち戻り、行動していかなければならないと感じた次第であります。

夏の陣闘い終えて我は今 枯れ野の奥に紅葉(もみじ)訪ねん
秋空に狼煙(のろし)の如き紅葉(こうよう)の

冬を耐え抜く生命湛えん

2005年11月1日 亀井 静香

※無断転載を禁ず

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