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春爛漫・桜に思う

 寒い冬を堪えて、今正に溜めたエネルギーを放出せんと満開に咲く桜が眩しい季節を迎えております。
 月日の経つのは早いもので、つい最近、年を越したばかりと思っていたら、早4月になってしまいました。桜の開花に、春の訪れを気付かされた次第です。
 その桜を眺めながら、秋に燃えるような紅葉の後枯れ木となって一冬越し、先ず花がほとばしるように咲いて春を告げ、その後に新緑の時期を迎えて命の息吹を感じるという、そんな当たり前の事にあらためて感激しております。  生命の輝きを目の当たりにしながら「日本に生まれて良かった」と思わずにはいられません。
 さて、そうはいっても現実の世界に目を向けると、この5年で借金が550兆円から800兆円に膨れ、自殺者数は増加、更に治安悪化による犯罪の急増という目を覆いたくなるような状況であります。現在の日本は経済・国土・人口が縮小し、国家は完全に縮んでおります。
 そして最も懸念されるのが日本人の魂が縮んでいることであります。隔差が進み、今まで社会基盤を支えてきた中間層が下層へ追いやられている状況の中で、その事を現実に実感しながら、声を上げない国民もどうかしているが、その様な状況を作り出した総理が「負け組も諦めないで頑張れば云々…」というのは如何なものか。
 私は最近「国民がいかれている」と彼方此方で主張し、ひんしゅくを買わないでもありませんが、敢えていわせて貰う。やはり国民がどうかしている。
 国を守るべき、国民の財産と利益を守るべき総理がこのような事を云われて何故怒らないのか。全てが自己責任に於いて委ねられるのなら、国家は何の為にあるのか。存在する理由が無くなるではないかと。
 日本という美しい国家の一員である、国民皆を幸せにする努力をするのが政治であり国家の責任であります。
 一部の目もくらむような富裕層を生んで、国が富んだと勘違いしている現在の政策に断固として反対し、それを支持する国民に「目を覚ませ」と云わずにはおられません。
 競争原理を最優先させた結果の「負け組」を容認するのではなく、かつての日本型資本主義に見られる支え合う社会、頑張り甲斐があり、努力が報われる社会が望まれるべきであると考えます。
 たおやかな中にも逞しく、生命がほとばしるように咲く桜は人の手厚い庇護の下に冬越えし、満開の花をつけるそうであります。

春を告げ 生命溢るる その日まで 情け勝れや 桜花爛漫

2006年4月3日 亀井 静香

※無断転載を禁ず

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