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咲くを惜しまず、散るを惜しまず桜の如く

 

今日あの未曾有の災害から一年を迎え、犠牲者のご冥福を心から祈ると共にあらためて思うのは命の重さである。

 

東日本大震災では、尊い命が一瞬にして奪われてしまった。何万人の犠牲者と表現するのが憚られるのは、亡くなられた方それぞれに家族があり、愛する人を亡くしてしまったご遺族の気持ちを考えるといたたまれない。日本中の国民がこの悲しみを共有した筈である。

 

かけがえのない命の重さは光母子殺人事件の死刑判決でも感じた。罪の重さが殺人の数や未成年であることで加減されるなら、一人一人の命の重さを否定することに繋がるという問題提起と愛するものを守ってやれなかったという被害者遺族の悲痛な叫びに共感を禁じ得ないが、それ故にこそやはり死刑制度は無くすべきと思わずにはいられない。

 

私の故郷広島の原爆投下では何万人もの命が一瞬にして消えた。戦争という行為そのものが無ければ無辜の命が奪われることはなかった筈だが、命の重さを考える時、何事によれ誰にも等しく死はやってくるからこそ、人為的な行為による殺人を人類が行ってはならず、この世から無くさなければならないとの思いを一層強くした。

 

そして被災地、又故郷を追われ避難先で懸命に生きる人たちの現状に目を向ければ、復興に向けてもっとスピードアップさせるべき時、又国民全体がデフレと収入減に苦しみ疲弊している時に消費増税などもってのほかだが、前に進めない政治と政治家としての己の至らなさにも腹が立つ。このような状況下では増税などをせず、先ず政党間の争いや行政間の縄張り意識を一切捨て去り、皆一丸となって国力の増強に邁進できないものかともどかしいが、この国の統治のあり方や行政システムを根本から変えなければならないと考える。

 

被災地の方々が希望に満ちた日々を迎え、再びこの国を輝かせるために限りある命咲くを惜しまず、散るを惜しまず桜の如く精一杯生き抜こうとあらためて誓う。

なき人を 偲びて生くる 之よりは
なお敷島の 花となるらん

2012.3.11  亀井 静香

※無断転載を禁ず

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